本という不思議

 ブックオフ沼津リコー通り店で文庫を三冊。東川篤哉もう誘拐なんてしない』文春文庫2011年7刷、渡辺剣次『ミステリイ・カクテル』講談社文庫1985年初版、アンドレ・シャステル『グロテスクの系譜』ちくま学芸文庫2004年初版、計315円。

 長田弘『本という不思議』みすず書房1999年初版を読んだ。

《 蔵書は、本という情報を、あるいは本という財産を、さっと手に入れることではありません。しかし、愛すべきヴッツ先生のように、本という経験を、あるいは本のかたちをした時間を、手間かけて手に入れることがいっそう難しくなった今日、蔵書が何のために必要でしょうか。ノサックの遺した答えは、こうでした。
  過大に絶望しないために。 》 19頁

 いい言葉だ。

《 「人びとは、はっきりと目に見えている事物の認識において、すっかり騙されている」。エペソスの人ヘラクレイトスはそういいました。 》 52頁

 モニター画面だけじゃあねえ。

《 わたしたちを今日悩ましているのは、いったいどんな本なのでしょうか。わかるけれどもおもしろくない本、あるいは、わかるそしておもしろい本でしょうか。わからないがおもしろい本、それともわからないおもしろくない本でしょうか。 》 68頁

 「本」を美術作品に替えて読むことができる。わからないがおもしろい美術作品。私の希求するそれは、手際よくまとめられた作品ではなく、未完成であるが、何かを開こうとしている作品だ。

《 言いたいことを言いあらわすための言葉でなくて、詩の言葉は言いがたい何かをあらわす言葉です。じぶんを表現するための道具でなく、むしろ黙って、注意ぶかくここに、あるいはそこにある沈黙をゆびさす言葉です。 》 90頁

 そういう美術作品を愛好する。明日へ続く(つもり)。

 ネットの見聞。

《 脳を偏重するのではなく、体を重視した身体論を読みたい。 》 mmpolo

《 身体は「脳の道具」として徹底的に政治的に利用されるべきであるとするのは、私たちの社会に伏流するイデオロギーであり、私はそのイデオロギーが「嫌い」である。

  身体には固有の尊厳があると私は考えている。そして、身体の発信する微弱なメッセージを聴き取ることは私たちの生存戦略上死活的に重要であるとも信じている。 》 内田樹

《 60過ぎて高校の同窓会をすると、同窓会に出られること自体が一種の勝ち組だということが判る。リストラで職がなく以後全くパッとしない、親の会社を経営したが倒産、大病、死亡、行方不明。時は残酷だ。 》

 そういえば、来月の高校の同窓会、欠席の通知を出した。久闊を叙す人がいない。