津軽三味線 秋田三味線/女歌の百年

 高橋竹山津軽三味線と浅野梅若の秋田三味線を合わせたCD『津軽三味線 秋田三味線競演集』クラウン1985年を聴いた。それぞれ八曲を演奏。竹内勉の解説から。

《 こうしたもろもろの差が、静かに耳を傾け考え込みながら聞く高橋竹山の音の世界と、うっとりと、その華麗な技に酔いながら聞く浅野梅若の音の世界、この差を生み出したのではないかと、私は思っている。 》

 もろもろの差が十も挙げられている。津軽と秋田の風土の違い。高橋竹山は食うための門付け芸が出発点、浅野梅若は面白くて始めた。高橋竹山浪花節にあこがれ、上方の芸能に興味をもつが、浅野梅若は民謡だけで通してきた。理論家である高橋竹山に対する実践家の浅野梅若。 》

 それはともかく。その業界、高橋竹山、浅野梅若に「叩き三味線」木田林松栄の三者鼎立だという。

《 この三人の芸は、それぞれの生いたちと個性が生み出した三者三様の世界を楽しむべきものだろう。 》

 演奏の傾向を例えれば、高橋竹山はモダン・ジャズ、浅野梅若はポップス、木田林松栄はロック。

 道浦母都子『女歌の百年』岩波新書2002年初版を読んだ。1901年刊行の与謝野晶子『みだれ髪』に始る女性短歌の変転。

《 今も忘れがたい感動を与えてくれる歌人たちをあげ、彼女たちの名歌、秀歌を紹介しながら、その作者の生涯、時代背景に至るまで、歌に託されたこの百年間の女性の精神の歴史を辿ってみようと思います。 》

 一九五四年(昭和二九)年七月、中城ふみ子歌集『乳房喪失』が刊行された。

《 ちょうど五十年余り前の一九○一年八月、与謝野晶子の『みだれ髪』が刊行され、激しい非難の的となった。それと同じような短歌界の反応があったのです。うら返していえば、短歌の世界のみならず、社会や時代というものは、表面的には動き、変化しているように見えながら、内面的には半世紀もの時間を経ても、あまり大きく動くことのない倫理観や道徳観で縛られ続けているのが現実と言うことができます。 》 119-120頁

 安倍首相らの発言に情けなくなるこの頃、彼らにとっては時代は淀んだままだとつくづく思う。一昨日の毎日新聞朝刊、「保坂正康の昭和史のかたち」、「〔安倍首相の「占領憲法」意識〕平和求めた先達への侮辱 」の冒頭と結び。

《 安倍首相の歴史観、歴史に向きあう姿勢はかなり危うい。実に乱暴な表現で史実を語る。 》

《 安倍首相の歴史観が、こうした先達の労に思いをはせていないことに愕然とする。 》

 『女歌の百年』から。栗木京子の歌。

《   天敵をもたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌かわくまで

    子に送る母の声援グランドに谺(こだま)せり わが子だけが大切   》

 昨日の源兵衛川の清掃で耳にした、カメラ爺たちが翡翠(かわせみ)を追って下流へ行ったと。北沢郁子の歌。

《   翡翠にとられし魚を誰も知らず在りたることも失せたることも   》

 そして上記、中城ふみ子『乳房喪失』を世に送り出した中井英夫の長編推理小説『虚無への供物』に登場する奈々村久生のモデル、尾崎左永子の歌。

《   いざさらば炎のごとく生きんかな誰(た)がためにあらずひとりわがため   》