短歌に続いて、俳句に詠まれた画家(美術家)を。一人一句。
《 彼等は婦人として絶えようダ・ヴィンチのまたぎ 加藤郁乎 》
《 向日葵をゴッホの花と愛す娘(こ)よ 上村占魚 》
《 新涼の野面ゴッホの耳が飛ぶ 八木忠栄 》
《 ゴオホの線蜜柑の皮の感触あり 渡辺白泉 》
《 口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か 藤田湘子 》
《 ロダン観る香水に鼻こはされて 秋元不死男 》
《 花こぶし汽笛はムンクの叫びかな 大木あまり 》
《 ルノアルの女に毛糸編ませたし 阿波野青畝 》
《 少年ありピカソの青のなかに病む 三橋敏雄 》
《 夜の書庫にユトリロ返す雪明り 安住敦 》
《 烏瓜もてばモジリアニイの女 有馬朗人 》
《 ヘンリー・ムーアの塑像の脇の落葉籠 石原八束 》
《 露ふれりタウトの夢の藁屋根に 能村登四郎 》
《 河べりに自転車の空北斎忌 下村槐太 》
つけたし。
《 トルソオの乳房ゆたかにふくらむをたとえば春の冥さとさだむ 佐藤よしみ 》
《 トルソーは仰向きわれは俯きて月光のなか毒をこぼせり 角宮悦子 》
《 くろがねのトルソー運ぶ油照 秋元不死男 》
《 さびしくて畫廊を出づる畫のなかの魚・壺・山羊らみなみな従へて 中城ふみ子 》
西東三鬼にはモナリザの句が三つもあるなあ、と『西東三鬼全句集』都市出版社1971年初版を読みながら、三谷昭の解説にたどり着くと、こんな一節。
《 この全句集にも収録したので読んでいただければわかるのだが、抒情が「私」へ回帰する作家と、「私達」へ拡散する作家に分類し、その両方を認めている。ドラマ性を持った作品は、「私達」へ拡散する方向のものといえる。観客へひろがらない演技ではドラマは成立しなからだ。 》
これは絵画にも通じる。しかし、もっと掘り下げて考える必要がある。貼付された小冊子の加藤郁乎「変身する西東三鬼」から。
《 西東三鬼がもし絵画の道を選んでいたならば、彼はきっとセザンヌ的な物の奥行きを求めた画家になっていたに違いない。 》
ネットの見聞。
《 放射能をバラまいた人を非難しないで、「放射能危ないよ」って教えてくれた人を風評被害って非難するのは、いまだに意味が分からない。 》
《 三本の矢って、「三本束ねないと折れてしまう」という話だったはず。最近、なんか違う意味で使われている感じ。 》
《 歌舞伎は伝統を守る点でも徹底しているけれど、観客を笑わせようと決心すると、まるで遠慮なく流行を取り込むのが面白いと思う。日曜に場内最大の爆笑は、助六が通行人を呼び止めて驚かせたときのやりとりで、いわく、「待ちやがれ!」「じぇじぇ!」…。 》