知の編集工学

 NHKテレビ総合、「ひるブラ」ウェブサイトに10日(水)放送予定の源兵衛川。

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 夏が思いやられる。

 松岡正剛『知の編集工学』朝日文庫2001年初版を読了。副題は「情報は、ひとりでいられない。」。工学という言葉から悪名高き金融工学を連想していたが、まるで違っていた。なんとも内容豊富な知的刺戟に満ちた本だ。

 一九八○年代の中村雄二郎の「共通感覚論」、一九九○年代の「複雑系の科学」と、私にとって思索の飛躍になった論考に続くのが、この二○○○年代の「知の編集工学」だろう。三者に共通しているのは、西洋近代の思考の枠組み(科学、哲学)がもはや時代に合わなくなっているという認識。流れは線形から非線形へ。

 山口昌男は解説で書いている。

《 私の知る松岡正剛氏は、「遊」の編集長として、ムック調のグラフィズムと神秘主義に危ういほど接近しながら、イデオロギー中心の戦後言語戦争に片寄った思想空間の中で、イメージの包括力の大きさを読者に知らしめた知の達人であった。 》

《 結局のところ、松岡氏はデジタリズムの行きつくところは、線形のトートロジーの同意反復の世界である。世界は「まつり」のようなアナログ(非線形)のモデルを組み込むことによってしか解決されないだろうという。非線形の例として示される能の編集能力、歌舞伎における「世界」づくりと「世界」くずしによる包括的物語性の取り込みの説明は、極めて魅力のあるものである。 》

 要なことは言われてしまった。落ち穂拾いではないけど。

《 先に生命があって、あとから情報が工夫されたのではない。先に情報があって、その情報の維持と保護のたために、ちょっとあとから”生命という様式”が考案されたのだ。 》 80頁

《 私たちのコミュニケーションにおいては、情報交換の構造が先にあるのではなく、その場に生じている先行的な編集構造が先にあるわけなのである。 》 128頁

《 言い忘れたが、経済と文化をつなぎ、この二つを編みこむインターフェースは「好み」なのである。 》 142頁

《 けれども、湾岸戦争阪神大震災は、はからずも私たちに「柔らかさ」と「弱さ」が重要であることを示唆してくれた。 》 150頁

《 私たちの脳や精神(心)はもともとがノンリニアである。どこにも立派な「論理」など宿ってはいやしない。論理は外にかっこよく取り出して見せるときの好都合な言説上の武装というものだから、論理はリニアを好んできた。 》 151頁

《 文化とは、メディアをまたいで内容を編集しつづける作業のことだとみなせないだろうか。 》 170頁

《 大事なことは自分自身をそうとうにゆるませるということ、フラジャイルな自由編集状態にしておくということである。 》 175頁

《 そもそもリキんで喋るということは、その喋っている内容以外の内容をすべて抑圧していることなのである。 》 180頁

《 いったい主体と客体をきっぱりと分けるという方法が、歴史的にはごくごく新しいものであり、しかも近代的な社会力学の必要に応じて生まれてきたものだった。 》 269頁

《 しかし、サブジェクトとオブジェクトをわざわざ引き離すことなどなかったのである。むしろ両者は未分化のままのほうがよかったのだ。 》 271頁

《 そんな主観から切り離されたオブジェクトなんて、どこにもないはずなのである。それはロックやカントが近代のために”創作”した形而上的な客体というものだった。 》 312頁

 ネットの見聞。

《 【米国の盗聴問題に対する対等国と属国の違い】フランスはオランド大統領が「米国は直ちに盗聴などという卑劣な行為を辞めろ」とコメント。日本は安倍首相は無言、菅官房長官が首相に代わって「現在、事実確認中ですが米国からはまだ何も連絡がありません」とコメント。 》 きっこ

《 放射能の力を信じない人は多い。 》 椹木野衣

 ネットの拾いもの。

《 新しい服にソースをこぼしたった (俳句) 》

《 アイスクリーム鞄に入れ気づく五時 (俳句) 》