髑髏となってもかまわない

 夜半来雨。暑さ和らぎ、心地良い風が吹き抜ける。なぜか眠い。よく寝ている(九時間余)のに。なんだかなあ。一念発起、掃除機をかけ終わった昼前、俄か照り。午後、ブックオフ長泉店へ。井上ひさし・編『ことば四十八手』新潮社1980年初版、長谷川洋三『「般若心経」の研究』恒文社1989年初版、保阪正康『検証・昭和史の焦点』文藝春秋2006年初版、計315円。

 『ことば四十八手』をぱらっとめくる。

《 詩歌によつて新しい生命を輝かし得た地名は、それが「ケルン」であろうと、はたまた「桃源郷」であらうと、日本人の「歌枕」となることを、決して忘れるべきではない。 》 塚本邦雄 72-73頁

 今朝、二つの「下北」を思っていた。一つは東京の「下北沢」。もう一つは青森県の「下北半島」。詩の一行が浮かんだ、今朝。

《  下北沢裂くべし、下北沢不吉、日常久しく恐怖が芽生える、なぜ下北沢、なぜ  》 成増剛造「黄金詩篇」より

 下北沢は歌枕になるかもしれない。

《 すなわち明治憲法の文章は、礼儀三百威儀三千を装ひながらしかし実は礼儀も威儀もない滅茶苦茶なものだつた。 》 丸谷才一 176頁

 巻末は「滑稽辞世三十六歌撰」。

《  死んでゆく地獄の沙汰はともかくも あとのしまつは金次第なり  歌川豊広  》

《  心あらば手向けてくれよ酒と水 銭のある人ぜにの無きひと  天の広丸  》

《  落ちてゆく奈落の底を覗き見ん いかほどの慾のふかき穴ぞと  円智坊  》

 山折哲雄『髑髏となってもかまわない』新潮選書2012年初版を読んだ。

《 『万葉集』の挽歌を眺めわたしてみるとき、あらためて異常死、孤独死、無縁死の現象が時代を超え、地域を超えて発生しつづけてきたということを思い知らされる。ただそのような重苦しい光景のなかで異なってみえるのは、われわれの手元には挽歌という鎮魂の表現ジャンルがすでに失われてしまったということではないか。それがいい過ぎであるというなら、挽歌制作への志向がかぎりなく希薄になっているということだ。 》 72頁

《 われわれは、もはや挽歌の季節を生きることができないところへ追い込まれているのである。 》 同

 歌人福島泰樹の挽歌を思う。

《 「人生は未完成の作品。死者のそれを完成させるのが、生きている者の務めです」 福島泰樹 》

 ネットの見聞。

《 三権の分立、硬性憲法、代議制などは、民主主義や多数決原理が必ずしも最善の選択をするとは限らないことに対する歯止めを与えている。不断の抑制がなければ、民主主義を堕落させるは、簡単なのだ。 》 平川克美

 ネットの拾いもの。

《 相模の相棒に相撲の相談。 》

《 ネット依存してるバカがいるのかwwwwwオレなんか朝から晩までネット見てるけどぜんぜん依存してない。 》

《 本読んでたはずが思いっきり爆睡しておった…… 》