アフリカ農場・つづき

 カーレン・ブリクセン(1885-1962)『アフリカ農場』工作舎1983年初版を読了。ケニヤの首都ナイロビ近郊の高地でコーヒー農園を十七年間(1913-1931)営んでいた作者の当時の回想記。日本・西洋とはかけ離れた未知のアフリカ人像。驚きの連続。

《 西欧とアフリカでは、正義という概念に大きな隔りがあり、一方の世界はとうてい他方の世界の視点を容認することができない。 》 111頁

 具体例を知ると、思いっきり納得(するしかない)。

《 だが、わたしもしだいに魔術という考えに慣れてきた。そういうことがあっても自然でおかしくないのかもしれない。アフリカの夜にはさまざまなことが起こるのだ。 》 159頁

《 ここへきたのが、死を軽んじ、商いの合間には代数と天文学、そして後宮に心を傾ける、冷酷で官能的なアラブ人たちだった。これといっしょにやってきた庶出の弟にあたるソマリ人は、激越で喧嘩早く、愛欲には節度を守る一方では貪婪な民で、熱烈な回教徒として、嫡嗣の兄たちにもまして預言者の戒律を忠実に守ることによって、自分たちのいかがわしい生まれを補った。これにつき従った、海岸部に住むスワヒリ族は、もともと奴隷の心を持つ奴隷であり、残忍、淫猥で手癖が悪く、まっとうな感覚と冗談にあふれ、齢とともに肥え太る民である。 》 168頁

《 こういう者たちが高地の奥へいくと、高地の猛禽類に迎えられた。マサイ族が細長い影のように黙って出てきた。きらめく槍と重い長盾を手に、すべてのよそ者に根深い不信を抱きながら、手を血に染めて同胞を売った。 》 168頁

《 彼らにとって悲劇は神の世界構造そのものであり、人生の調性である。この点で彼らはどんな階層のブルジョアジーとも異なる。ブルジョアジーは悲劇を拒み、悲劇に耐えようとせず、悲劇をこの世の悲嘆の種とか不快という意味にとるのだ。中産階級の白人移民と原住民とのあいだに生じる誤解の多くは、この事情がもとになっている。気難しい顔のマサイ族は貴族であると同時に無産者である。 》 215頁

《 原住民がスピードを嫌うのは、われわれが騒音を嫌うようなもので、どうひいき目に見ても、我慢できない。それにまた、彼らは時間と親しい間柄にあり、時をまぎらすとか、時間をつぶすなどという発想はもたない。それどころか時間があればあるほど嬉しいのだ。 》 244頁

 雑誌の由良君美「読書日録」の切り抜きから。

《 この訳を読んで、我が意を得た思い。 》

《 この訳者は面識がないが、ブリクセンを本当に理解できる資質に恵まれた人であることが分る。 》

《 「あとがき」の前の長文の「カーレン・ブリクセンをめぐって」も実に長年の打ちこみを感ずる。 》

 ウィキペディアによると。

《 現在のデンマークの50クローネ紙幣には彼女の肖像が使われている。 》

 樋口一葉夏目漱石並みの扱いだ。

 陽が傾いた午後、ブックオフ函南店へ自転車を走らす。店内は涼しい。のんびりじっくり一冊一冊背を眺める。青野聰『愚者の夜』文藝春秋1979年初版帯付、重兼芳子『やまあいの煙』文藝春秋1979年初版帯付、大佛次郎『旅の誘い』講談社文芸文庫2006年2刷、初田享『東京 都市の明治』ちくま学芸文庫1994年初版、計420円。

 ネットの拾いもの。

《 「じぇじぇじぇ!」を連発していた課長がこのところ「倍返しだ!」を連発するようになった。 》

《 電車好きらしい子供が「『ほうれい線』ってどこで乗れるの?どこで乗り換えー?」と母親に聞いていたが、「鏡を見ていれば…そのうちに自然と乗っているものよ…」と答える母親は暗黒メーテルそのものであった。 》