おどるポンポコリン

 土曜日のせいか、朝はセミの声だけが賑やか。お昼近くなってお囃子の音が聞こえてくる。相変わらずの晴天で暑い。富士山が顔を出す。きょうはみしまサンバなる踊りで、若い女子(とオバサマ連)が元気いい晴れ姿を披露。女子は元気だねえ。その前の農兵節踊りはパス。

 日が翳るにつれて芋を洗うような人出に。これでもコミケほどではないなあ、と思う。こっちは青天井だからなあ、コミケ雲は発生しようがない。熱中症で運ばれたという話も聞かない。だれもがのんびりとそぞろ歩き。まあ、急ぎようがないのもあるけど、急ぐこともなし。ここがコミケとは違うな。平和で平穏だなあと思う。

 昭和の終り頃だったか、人出が急減して、祭りの時代ではないのかなあ、と淋しく思った年があった。それが1990年に「おどるポンポコリン」が流行って、それを下敷きにした振り付けと踊りが人気を博し、踊り手が続出、人出が戻った。あれは救世主だった。バブル時代、人心は祭りから少し離れたかもしれない。この人出を見ると、ヘンなのはあの時だけだった。それにしても、花火はほとんど上がらない、が、露天商と市民で盛り上げ盛り上がる金のかからない祭りだ。こちとら、カワイイ女子の浴衣姿に眼福眼福。これは毎年うれしい増加傾向にある。

 この歩行者天国になる大通り商店街という結構な名称の通りはしかし、片側たった一車線。旧国道一号線だけど。この狭さが逆にヒューマン・スケール、人の歩くぶんにはちょうどよい幅のようだ。向こう側の店がよくわかる。すなわち横断しやすい。車はしょっちゅう渋滞気味だけれども、それが当たり前と認識されている。コンパクト・シティの見本のような旧市街だ。市街が死骸と誤変換された。多くの市街が市外のモールに客を取られて死骸と化していると聞く。ここでも隣の清水町のサントムーン柿田川というモールが人気。

 市街地の東西の大通り七百メートルを数メートルの農業用水路が南北に横断する。西から源兵衛川、四の宮川、御殿川そして桜川。それから西方、柿田川の周辺の水田へ流れる蓮沼川。これらも文化遺産だろう。いや世間遺産か。世間遺産を遺物、忌物ではなく、遺産として評価せねば。そういう視点から、トマソン物件の発見、顕彰も街の活性化につながると思うのだけれど、地元の人は、それをどちらかといえば邪魔な遺物としか認識していない場合が多い。もったいない。トマソンおたくが増えてほしい。ゆくゆくは聖地巡礼

 ネット注文した古本、中村元(はじめ)・三枝充悳(さいぐさ・みつよし)『バウッダ 仏教』小学館1987年2刷が届く。送料込み800円。

 ネットの見聞。

《 「はだしのゲン」の閉架問題は表現の自由とか思想や教育の自由という文脈で語られがちだが違うと思う。多数でもない特定団体に強く抗議されただけで決定を下してしまう公共機関の運営組織の閉鎖的で軟弱な体質の問題だと思う。 》

 ネットの拾いもの。

《 いくつになっても、心は性少年…元い、青少年のままです。 》