奇跡の川/ゴキブリの海/糸ノコとジグザグ

 昨晩は八時からのBSプレミアム『ニッポンの里山』で、”街中にも里山があります”と、源兵衛川が最後に放送された。みんなで川掃除をしている場面、私は後姿。ドブ川を清流に戻した「奇跡の川」というナレーションにビックリ。これは使いたい。

 昨日は蠅。蠅の次は蚊。椎名誠に『蚊』があるけど本を持っていない。藤原伊織の『蚊トンボ白鬚の冒険』講談社2002年は読んで日が浅く記憶に残っているので、まだ再読しない。蠅、蚊とくれば次はゴキブリ。トンマーゾ・ランドルフィ『ゴキブリの海』1936年(『現代イタリア幻想短編集 I 』国書刊行会1984年)を読んだ。

《  船が引き起こす小さな波に揺られて、大きなゴキブリが数匹、海面を眠たげに漂っていた。その向こう側にもまた別のゴキブリが漂い、開けた海面の方角は、そいつでびっしりと埋められ、熱帯の午後の太陽に照らされて黒光りしていた。  》

 ま、気持ち悪い。どこかの映画に出てきそうな。ゴキブリの海の船上ではうじ虫も出てくる。これはまた、なんともエロい奴で若い女性の肌を動き回る。

《  その間、娘は腕を体の脇にだらりと投げ出し、頭を少し後ろにそらし、目蓋を閉じていたが、軽くあえいでいた。  》

《  虫は顔を下り始め、こんどは耳の後ろを通って、そこでしばらく止まっていた。それから首を誇らしげにとり巻いている三本のしわを乗り越え、肩甲骨を回りこみ、首のつけねのくぼみを渡って、乳房に向った。うじ虫はその小さな頭で感じやすい部分を探っているようだった。  》

 うじ虫まできちゃった。江戸川乱歩の『芋虫』と似ているが、全く違った幻想怪奇小説だ。真夏の風物。

 ブックオフ函南店へ自転車で行く。久世光彦『聖なる春』新潮社1996年初版、島田荘司『毒を売る女』光文社文庫1993年3刷、関川夏央『現代短歌 そのこころみ』集英社文庫2008年初版、中井英夫『虚無への供物』講談社文庫2003年52刷、山路閑古『古川柳名句選』ちくま文庫1998年初版、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟5 エピローグ別巻』光文社文庫2008年12刷、計630円。ほかにも欲しい本があったけど、ガマン、ガマン、見送る。

 『聖なる春』は、文庫本で持っているけど、単行本はクリムトの絵がいっぱいで豪華。道尾秀介久世光彦(くぜ・てるひこ)の三冊として、『怖い絵』『聖なる春』そして『雛の家』を挙げている。毎日新聞2011年2月27日付。

《  この世には、映像にすると消え失せてしまう幽かなものがある。すぐれた文章は、それを捕らえて紙の中にとじ込めることができる。  》 道尾秀介

 『毒を売る女』は、収録の「糸ノコとジグザグ」を読みたかった。『現代短歌 そのこころみ』は、中井英夫が出てくるので。『虚無への供物』は、上下巻の新版が2004年に出ているので、これは一巻本の最終刷か、と思って。

 「糸ノコとジグザグ」をさっそく読んだ。自殺をほのめかす現代詩(?)をラジオの生放送DJ番組に投稿した人の自殺を、なんとしても阻止しようとする番組スタッフと聴取者たちによる詩の解読作業。そして突き止めた人物と自殺場所。比喩隠喩換喩の解読にタイミリミットが重なった作品。短篇なので、文字通りの一気読み。

 ネットの見聞。

《 ‏ 高木彬光『白蠟の鬼』読。やはり、この熱気は高木ジュヴナイル中出色。奇怪なイメージが優先され『死神博士』のような不可能興味を主眼にしていない。街角での消失トリックなど図がほしいところだが、サラリと説明されててもったいないぐらい。怪人の正体がソノラマ版と異同がある気がするが確認できず  》 芦辺拓

 こちらはソノラマ文庫1976年しか持ってない。

 ネットで下の表現に遭遇。

《  何か、もはや世紀末の早すぎる前倒し、って感じ。  》

 世紀末。2011年の大震災〜大津波原発損傷は二十世紀の終焉を意味するのかもしれない。十九世紀の終焉が第一次世界大戦だったように、原発損傷は第一次世界大戦と同にような意味で歴史に位置づけられるかも。兵器の驚異的進化による戦争の長期化〜放射能汚染水の海への流出による見通せない収束。科学技術の驚異的発達〜科学技術の限界。