白蠟の鬼

 昼前にブックオフ長泉店へ自転車で行く。田中啓文ほか『ハナシをノベル!! 花見の巻』講談社2007年初版帯付CD付録付、中野美代子カニバリズム論』福武文庫1992年5刷、計210円。ホームセンターの買いものは暑くて人出もあるので延期して帰宅。ふう。風があるので洗濯物はよく乾く。

 昨日ふれた高木彬光『白蠟の鬼』ソノラマ文庫1976年初版を読んだ。江ノ島を遠望する林の中にある「鏡屋敷」を舞台にした熱血探偵小説。名探偵神津恭介大奮闘。息つくひまもない一気読みの面白さ。鏡のトリックも面白い。

《  地下道のなかに倒れていたのは十五、六の老婆……これもまたぬげない仮面をかぶせられたあわれなぎせい者だったのです。  》

《  「ここはいったいどこなんです……あなたがたはいったいだれです。ここもまた鏡地獄のなかですか」  》

 武部本一郎の表紙絵がコワイ。今は無き近所の古本屋で百円で購入。この本が高騰(2100円)するとは、当時予想できただろうか。価値の変遷はじつに面白い。元版は1952年にポプラ社から出ている。

 ネットの見聞。

《  鎌倉は、いまや、カマコンバレーと呼ばれてるそうな。知らなかった。  》

 IT企業が参集しているとか。

《  古典における<長さの壁>の問題は、このサイトでも再三扱ってきました。現在は情景描写、自然描写の衰えが、文章力や表現力の衰えに直結すると考えています。日本はとくに高度成長期以降、身近の(日常的環境としての)自然が加速度的に失われ、いまや写真や画像中心のコミュニケーションとなっていますが、この流れは非可逆性のもので、近代までに成立した文学の型を一挙に終焉へと追いやってしまったのではないでしょうか。  》 紀田順一郎

 この指摘に瞠目。たしかに。なぜ古い小説のレトリックと重厚さに魅力を感じ、特に平成の小説に底の浅さと軽い読み応えしか感じられないのか、が腑に落ちた。しかし、と思う。それでも昔とは違う新たな描写、表現が生まれてくると期待する。洋画が写実から印象派へ抽象画へと変遷し、絵画表現が行き詰っている今だからこそ、新たな表現形式がすっと現れるだろうと、予感しているのと同様に。その萌芽は見えている。

《  ‏世界で唯一戦争のない国、を標榜して「なにかコツを教えてくれないか?」とあらゆる国から視察団が来て、それを観光事業収入として国民に還元して生活していく、というふうになれないものだろうか。すきま産業としてはありなんじゃないかな。  》 渦産業木村万里