ブックオフ函南店へ自転車で行く。吉田篤弘『という、はなし』筑摩書房2006年初版帯付、深町眞理子『翻訳者の仕事部屋』ちくま文庫2001年初版、マーサ・グライムズ『「古き沈黙」亭のさても面妖』文春文庫1992年初版、リチャード・ブローディガン『西瓜糖の日々』河出文庫2011年5刷、H・マロ『家なき子』河出文庫1996年初版、計525円。
木版画絵師土屋光逸の研究家土井利一氏から「川瀬巴水と土屋光逸」展(礫川浮世絵美術館、十月一日〜)の案内と招待券を恵まれる。私の所蔵していた土屋光逸「雪の猿沢の池」初摺を土井氏に譲ったことから縁ができた。同封されたパンフレットやコピーには、講談社から六月に出版された、高木凛『最後の版元 浮世絵再興を夢見た男・渡邊庄三郎』の案内。帯の惹句。
《 日本人が知らない、世界とジョブズに愛された日本の芸術── 》
《 それは「新版画」。仕掛けたのは「最後の版元」 》
著者の高木凛、未知の人だけど、テレビ放送でも出版でも受賞暦がある。テレビドラマには『黄色い髪』NHKも。
『日本幻想文学大全 幻視の系譜』(東雅夫編/ちくま文庫)の収録作品。
観阿弥+世阿弥「松風」野上豊一郎編訳
泉鏡花「化鳥」
小川未明「牛女」
萩原朔太郎「猫町」
谷崎潤一郎「魔術師」
夢野久作「木魂」
室生犀星「蜜のあわれ」
芥川龍之介「妙な話」
宮澤賢治「ひかりの素足」
川端康成「片腕」
梶井基次郎「Kの昇天」
渡辺温「父を失う話」
中島敦「文字禍」
埴谷雄高「虚空」
吉田健一「百鬼の会」
島尾敏雄「摩天楼」
中井英夫「地下街」
安部公房「デンドロカカリヤ」
吉村昭「少女架刑」
赤江瀑「春の寵児」
倉橋由美子「巨刹」
未読作品を読む。倉橋由美子「巨刹」は『人間のない神』新潮文庫1977年初版で。奈良、東大寺あたりをモデルにした短篇。流麗な文体の優れた膂力をひしひしと感じる。凝縮した表現に身を任せ、流転する流れに心を委ねる。
《 ついでわたくし自身の肌よりも冷たい岩の穴にすべりこませました。未知の王国への第一の閾(しきい)を越える不安も腹をすりむく石の荒い摩擦の痛みにかき消されながら。そこには幽冥界の冷光がたちこめていました。わたくしたちは岩棚と石筍とが形づくる狭い柱廊伝いに進みました。そのあいだにも、したたりおちる水の音はたえず、大小の支流を集めて地下の水路はゆるやかな静脈のようにその流れを豊かにしていくのでした。そして定義しがたい濃密さで人間をしめつける不安な暗黒を切り裂くためのたえまない叫び声の、蝙蝠の飛翔にも似た鋭い交換は、悲劇的に反響する叫喚となって、魂の脆い鼓膜をいっそう痛ましく喰い破るのでしたが、この息もたえだえな恐怖と蠱惑の絶頂に、突如暗渠は微光にみたされ、ドーム状の巨大な天井の下にはいつのまにかあらゆる種類の青の精髄で着色された水が、神秘的な小湖水をつくっているのがわかりました。 》
《 加速度的に光の杯を傾けていく夏の衰退につれて、 》
たったこれだけの表現に、ふっと息を抜く。脱帽。
赤江瀑「春の寵児」は『春泥歌』講談社文庫1990年初版で。駘蕩たる春の淫蕩なる景色。うーん、「幻視の系譜」だから選んだか。
ネットの見聞。
《 中日新聞傘下の東京新聞は、3・11後、報道の社会的意義に目覚めた印象があります。それはとても大きな覚悟を必要としたと思います。 》 今一生
《 週刊新潮「それでもオリンピックは不要という勇気ある論客」って記事あるみたいだけど、オリンピック不要論の論客なんてそこらにいっぱいいるだろ。 》 森岡正博
《 取材依頼のメールがいくつか来ました。半分くらいが「五輪招致について」。こういうふうに固まって来るのは「それについては発言を差し控えたい」という人が多いトピックですね、経験的に。「それについては自由にものが言えない雰囲気」のトピックがこの2、3年どんどん増えています。 》 内田樹
《 「日本人じゃない」の行き着く先には、例えば、東京五輪を一緒に喜べる「良い被災者」と、復興もまだなのにと疑問をもつ「悪い被災者」との分離があるんじゃないか。原発被害を静かに受け入れる「良い被災者」と、賠償を求める「悪い被災者」というのもあるかもしれない。 》
ネットの拾いもの。
《 神奈川・辻堂 古本の店 → つじ堂 》