三冊

 昨日の毎日新聞、「今週の本棚」トップは寺山修司『戦後詩』講談社文芸文庫への荒川洋治評。冒頭。

《 詩人寺山修司(一九三五〜一九八三)一九六五年、二九歳のときに書いた批評だ。ほぼ半世紀のいまも、これほど魅力的な詩論は日本に現れていない。 》

 すごいね。

《 歴史は「帰る」ことだが、地理は「行く」ことを教える。ひとりからひとりへとひびく。その手ごたえが大切だと。 》

《 いっぽう「私は、最初から難解さを目的とした詩は好きである」と、読者を二人(澁澤達彦、窪田般弥)に限定した(?)加藤郁乎の詩にもふれる。 》

 澁澤達彦は、龍彦の誤字。26日にふれた窪田般彌がなぜ窪田般弥なのだろう。窪田般弥ならば渋沢竜彦だろうに。残念な人名漢字不統一。

《 全歌集では、歌人の生前に出た『塚本邦雄歌集』白玉書房1970年、『葛原妙子歌集』三一書房1974年、『寺山修司全歌集』沖積舎1982年を新刊で購入。この三歌集、私には三種の神器みたいなものだ。 》

 と23日に記した。では、俳句集は。『富澤赤黄男全句集』林檎屋1976年初版、『西東三鬼全句集』都市出版社1971年初版、『定本 加藤郁乎句集』人文書院1975年初版の三冊だ。富澤赤黄男(とみざわ・かきお)、西東三鬼(さいとう・さんき)、加藤郁乎(かとう・いくや)、畏れ多い三巨星だ。

 寺山修司『戦後詩』評のお隣「この三冊」は、大崎善生・選「団鬼六(だん・おにろく)」。その三冊は『花と蛇幻冬舎アウトロー文庫、『真剣師 小池重明幻冬舎アウトロー文庫そして『美少年』文春文庫。

《 SMとエロ一筋で作った金で横浜に建てた鬼六御殿は5億円ともいわれた。 》

《 「5億円稼いだら5億円使ってしまわな」。その言葉通りに生きた姿はまさに異端の文豪そのものである。 》

 『花と蛇』、角川文庫版では十冊、富士見文庫版では九冊、幻冬舎アウトロー文庫では十冊。まあ、長いわ。プルースト失われた時を求めて』同様、全部読み通したことはない。角川文庫版第四巻『調教の巻』1985年初版、小池真理子の解説から。

《 それにしても、団鬼六氏の使うセリフまわしの何と古風でなまめかしいことか。
  「ああ、お、お姉さん、助けて」
  「嫌っ、嫌っ、かんにんして」
  「お姉さん、美津子、もう駄目だわ」
  等々。
  昔、読みあさった少女漫画の継子(ままこ)いじめのシーンそのものだ。「このヤロー、なめんなよ」などという、最近のうるわしき女子大生でも平然と使うようになった男言葉が、まるで出て来ない。このあたり、いまはなき”女の原型”を垣間見せられたようで、ふと、衿を正したのであります。 》

 そう、じつに古風な大富豪の令夫人たちなのだ。古風すぎて、今では絶滅種だ。その観点からは、男の夢物語ともいえる。

 ブックオフ長泉店で三冊。原田マハ『本日は、お日柄もよく』徳間書店2010年初版帯付、東川篤哉『密室の鍵貸します』光文社文庫2011年11刷、森毅『一刀斎の古本市』ちくま文庫1996年初版帯付、計315円。『一刀斎の古本市』解説は5日に亡くなった中川六平。解説の結び。

《 世界は刺激に満ちている。 》

 ネットの見聞。

《 本人の意思とは別に。古いものを血肉にした上でほしい要素だけ残し、その上に個人の要素を乗せている。きっちりと古きものが体内にあるというところにうわべだけではない本当の新しさがある。 》 向井透史

 ネットの拾いもの。

《 『本の雑誌』のバックナンバーを読みながら風呂。「今月書いた人」は、例えば北上次郎(46)というように筆者名のうしろに登場ページが入っているが、ふつうこの表記は年齢なので、その組み合わせにオヨッとなる。豊崎由美(79)と大森望(38)のコンビとかすごいことになっている。 》

《 日本の名門大学で学べること
  東大:一番頭がいい大学だからといってモテるわけではない
  慶應:女は金がかかる
  早稲田:女は可愛気ををTPOで作る
  一橋:女は大学から結婚を視野に入れてくる(津田塾隣接)
  東工:東京にいるからといって女に会えるわけではない 》

《 かつて桃井かおりのCM「近頃、馬鹿が多くて疲れません?」というセリフ、クレームから改定されて「近頃、お利口さんが多くて疲れません?」になった。作り手の意地だね。それにしても、お利口さんの多い、今日このごろ 》