『こころの詩集』 /マニタス・デ・プラタ

 真夏日。秋夏混在。EPレコード盤、石川セリ八月の濡れた砂』1972年を聴く。琴の絃の響が深く効く。

 やなせ・たかし『こころの詩集』サンリオ・ギフト・ブック1980年3刷を開く。

《 「心の部屋」

  私の心の中は
  ちいさな部屋になっています。
  ほんのちいさな部屋だから
  あなたひとりしか入れません。  》

《 「心のうらがわ」

  私の心のうらがわは
  あんまり ひとにはみせられない
  きれいなほうを おもてにむけ
  ごまかしながら 生きてます
  よくないこととは 知りながら  》

 やなせ・たかしは良識ある常識人。それでいい。私の好みの作品は、良識でも常識でも反良識でも反常識でもなく、脱良識、脱常識の作品。

 ギフト・ブックなどハードカバーの文庫本、というだけで欲しくなってしまう。記憶が確かなら、最初に買ったのは中学生のとき。今はなき近所の古本屋で『日本探偵小説全集 水谷準 大坪砂男春陽堂書店昭和29(1954)年初版の裸本。本文の活字も気に入って、何度も読んだ。本棚の隣には大仏次郎・訳『世界大衆文学全集 第一巻 鉄仮面』改造社昭和四年初版。同様の造本。こちらは未読。この辺のことは以前にも書いたなあ。

 ギターは、やっぱりフラメンコ・ギターに最も惹かれる。それも異端の奏者、南仏のマニタス・デ・プラタ Manitas de Plata (ステキな銀の手といった意味、1921年生)に。

 1963年10月、南仏現地で録音された『 JUERGA! 』『 Manitas de Plata and Friends 』をCDで聴く。「 JUERGA!」フエルガとは「フラメンコの一夜の宴」のこと。五十年前の録音。じつに生々しい迫力だ。

《 マニタスは持って生まれた天才的な技巧と自由な創意の羽ばたきのもとに、このうえなく奔放で融通無碍な、彼ならではの特別な音楽を作りあげたのである。彼の音楽は本場アンダルシアのフラメンコが伝統的に守ってきた形式感、あるいはリズム上の約束事から、時に大きく離れている。 》 濱田滋郎

《 しかし、この事実と、野生の音楽家マニタス自身の価値ということとは、おのずから話が異る。 》 濱田滋郎

 脱良識、脱常識のフラメンコ・ギター。

《 マニタスはそれ以前から多くの知名の士のファンをもっていた。パブロ・ピカソ、ジャン・コクトォ、サルヴァドル・ダリ、ジャンヌ・モローなど。 》 岡敏雄

 パブロ・ピカソの前で演奏する写真がジャケットになっているLPレコード(映画『ピカソ〜戦争、平和そして愛』サウンドトラック盤)などもあるが、上記の二枚が最高と思う。マニタス・デ・プラタには「GYPSY RHUMBA 」ジプシー・ルンバがある。彼の血筋にあのジプシー・キングスがいる。彼らの音楽を You Tube で聴くと、こんな一節を連想する。

《 寺山修司は、自身がそういうように「贋金づくり」であった。その意味で中井英夫が一九五四年に抱いた「贋の金貨ではないか」という危惧は当たったのである。しかしその「贋金」は「本物」よりも好まれ、世界に流通した。 》 関川夏央『現代短歌 そのこころみ』集英社文庫2008年初版、64頁

 午後、ブックオフ長泉店で二冊。ウンベルト・エーコ薔薇の名前(上・下)』東京創元社1990年初版帯付、計210円。読まれた形跡がない。これは出版当時、中井英夫氏から「スゲエヤ」と伝えられ、反推理小説『虚無への供物』の作者が言うのだから、とさっそく読んだ。面白かった。上巻の帯。

《 精緻な推理小説の構図の中に碩学エーコがしかけた知のたくらみ 》

 今にして思えば、『虚無への供物』も『薔薇の名前』も、脱ミステリ作品なのかもしれない。

 毎日新聞朝刊、仲畑流万能川柳から。

《  原発で試行錯誤はかなわんな  隅田川三四  》