フラン・オブライエン(1911-1965)『ドーキー古文書』1964年『世界の文学 16 スパーク/オブライエン』集英社1977年初版収録を読んだ。内容はすっ飛んでいるけど、『スウィム・トゥー・バーズにて』『第三の警官』とは違って、困惑することなく普通に読める。3日の『第三の警官』では引用はしなかったが、そこでしつこく言及されていた伝説の科学者ド・セルビィが、『ドーキー古文書』では重要な役回りで登場する。世界を破滅へ追いやる彼の陰謀を阻止しようとする、ダブリンの若い男性公務員の行動を軸に話は進んでゆく。といってサスペンス小説ではない。後半には年老いて宗教へ回帰するジェイムズ・ジョイスも出てくる。頻出するキリスト教の問答は、宗教に関心の無い私にはわからない。この小説もまた、ひどく屈折しているアイルランド人特有の屈折小説という印象。
『第三の警官』で引用したヘンな自転車も登場。『第三の警官』を先に読んでいて正解。逆だったら、おお、自転車、おお、ド・セルビィ、と楽しめなかった。
《 あの男なんかは分子説の作用から危機一髪のところで救出されたいい例だ。事情を知ればあんただってその不気味さに度肝胆を抜かれること必定でしょうな──彼はあやうく自転車になるところであった。 》
《 ──はんみちってどこまでの半分ですか?
──彼自身が自転車と化す道程のなかばってことさ。 》
大澤正佳による翻訳の出版は『第三の警官』1973年、『ドーキー古文書』1977年、『スウィム・トゥー・バーズにて』1998年。大澤正佳は『ドーキー古文書』の解説に書いている。
《 アイルランド人は北辺の地に流寓の身をかこつ南欧人と言われ、長年にわたるイギリス支配に苦しんできた。しかもかつての母国語の記憶を「民族の精神の深い辺りに刻みつけ」ている彼らは国外に去ろうと国内に留まろうと、すべて「長いことこの国を留守にしていた」のである。追放の形がいかようなものであれ、彼らはすべて故郷への回帰をめざす。 》
《 しかし、帰属する「この地」ダブリンに身を留めながら、しかも帰属すべきアイルランド本来の姿を手の届かぬ「かの地」として求めるほかにない「国内残留型追放者」オブライエンは、「トンネルで酒浸り」の酔っぱらいよろしく、その焦躁を優雅なアイリッシュ・ダンスに、言語の華麗な舞踏に託すのである。 》
丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂『文学全集を立ちあげる』文春文庫2010年初版では、『31巻 フラン・オブライエン/バージェス』の巻立てで、『スウィム・トゥー・バーズにて』と『ドーキー古文書』が入っている。
ネットの見聞。
《 財界人が秘密保護法に賛成しているのは、別に独裁国家そのものが望ましいと思っているからではなく、日本がシンガポールのような「経済発展を国是に掲げる 独裁国家」になる方が「オレは金儲けがしやすい」と彼らが信じているからです。 》 内田樹
ネットの拾いもの。
《 うちの学校のごんぎつねは舞台道具があり合わせでチープ。でも、火縄銃は生徒私物のウージーサブマシンガン。ごんが射殺されるシーンの効果音はドパパパパッドパパパパパッ「ごん、お前だったのか...」じゃねぇよ。ごん即死だろそれ。 》
《 借金を倍返しだ! それは過払い 》
《 シライトルネードッ! 》