『ガラマサどん』/講談社文庫の黒背

 佐々木邦(くに)『ガラマサどん』講談社大衆文学館文庫1996年初版を読んだ。昭和五(1930)年に雑誌に連載された。表紙の紹介から。

《 失業の名人の私がやっともぐりこんだのは、ガラマサどんと仇名されるワンマン社長が一代で築いたビール会社。社長は立志伝を誇大に伝えようと、私を自伝作者に指名した。 》

《 「君の為を考えてやるのさ。取越し苦労のようだが、この不景気に中年者が短気を起したら、もうお仕舞いだぜ」 》 70頁

《 「男の子は大学までやることだよ。吾輩の若い頃は世の中が混沌たる戦国時代だったけれど、これからの人は正式の教育を受けて置かないといかん」 》 87頁

 当時も今も世相は変わらないわあ。巻末エッセイで阿刀田高が書いている。

《 佐々木邦のユーモアは絶対に質がよい。昔もそう思ったが、今は昔よりもっと広い視点に立って、そのことを声高く叫びたい。このユーモアは知識が広い。ものの見方のおもしろさが裏打ちされている。おかしさがある。人間観察があり、軽い批評がある。ユーモアとは本来こうしたものだろう。 》

 人間を信頼している穏やかなユーモアだ。やなせたかしに通じる。おバカな笑い、辛辣な笑いが眼につく昨今では、この手のユーモアは生ぬるい感じがするだろう。デジタルにたいするアナログ真空管だ。でもアナクロではないところが大きい。

 ブックオフ長泉店で二冊。松尾由美安楽椅子探偵アーチー』東京創元社2003年初版帯付、文藝春秋・編『酒との出逢い』文春文庫1990年初版、計210円。

 食料買出し。プリン三個セット98円、バナナ三本98円。悩んで両方買う。ブックオフ並みの悩み方だな。

 ネットの見聞。

《 お風呂のなかで楽しく土屋隆夫の思い出に浸っているうち、なぜか記憶は「講談社文庫の西村京太郎」にスライドしました。「講談社文庫の西村京太郎」と聞いて反射的にわくわくしてしまうひと、お仲間ですね。 》
《 僕も昔のことを思い出す。講談社文庫の黒背、読みあさったなあ。 》 太田忠司

 講談社文庫の黒背を手持ちの本で調べてみた。土屋隆夫『影の告発』1975年初版は白背。西村京太郎『D機関情報』1978年初版は黒背。西村京太郎『おれたちはブルースしか歌わない』1982年5月15日初版は黒背。西村京太郎『名探偵も楽じゃない』1982年9月15日初版は黒背。
 仁木悦子『猫は知っていた』1975年初版は白背。仁木悦子『粘土の犬』1977年3月15日初版は黒背。仁木悦子『点らない窓』1982年9月15日初版は黒背。仁木悦子『緋の記憶』1983年5月15日初版は青背
 ハーシュバーグ『殺しはフィレンツェ仕上げで』1976年11月15日初版は黒背。ヴァン・グーリック『中国迷宮殺人事件』1981年11月15日初版は黒背。各務三郎・編『世界ショートショート傑作選3』1981年10月15日2刷は茶色背。
 藤村正太『孤独なアスファルト』1976年6月15日初版は白背。斎藤栄『真夜中の意匠』1976年10月15日初版は、白背と黒背がある。ということは、カバー(ジャケット)を替えた。値段も装丁もまったく同じで、背の色だけが違う。

 講談社文庫の黒背(AX 推理・SF・ミステリー〈日本〉、BX 推理・SF・ミステリー〈海外〉)は、1976年秋に始まり、1982年秋には終えた、という見方ができる。ところで、中井英夫『人形たちの夜』1979年2月15日初版は、分類では「A 日本文学」で、背は肌色。

 金井美恵子『小さいもの、大きいこと』朝日新聞出版2013年にはこんな記述があるという。

《 金井は岡本太郎大阪万博に建てられた「太陽の塔」について、原子力発電の象徴だったと書くところから始める。渋谷駅に展示されている太郎の壁画「未来の神話」を原爆への批判という観点から評価し、前衛美術家として再評価を提案する椹木野衣の主張に対して、金井は「椹木よりずっと以前の私たちの世代にとって岡本は戦後的な前衛啓蒙家の悲惨でもあり滑稽な過誤として印象づけられている」と切って棄てる。 》

 絵画は見ているが、「太陽の塔」も「未来の神話」も直接見たことはない。以前にも書いたが、岡本太郎は作家としては二流、けれども物を見る眼は一流というのが私の見方。

 ネットの拾いもの。

《  「山梨のほうとう息子について」「正しい人の道を信玄してあげてください。」「では謙信的に」「武田家しく育てばよろしいのぢゃ!」