切断ヴィーナス

 夏目房之介のブログ『夏目房之介の「で?」』、23日に林静一の漫画本が紹介されていた。

《 こちらは、林静一作品集。ライアンさんの編集。 》

 写真の開いたページには林静一の「花に棲む」の四色カラー絵。これは『林静一作品集』青林堂1972年のために描かれた作品。本棚から取り出して読んだ。四十年前買った当時はよくわからなかったが、今は少し切々たる部分がわかる気がする。
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/

 小説家の恩田陸のウェブ連載『「土曜日には灰色の馬」第4回 挿絵の魔力』(2007年)に遭遇。
http://www.shobunsha.co.jp/?page_id=1960

《 既に絵本作家として認められた人も、どちらかといえば「詩とメルヘン」では、ダークで実験的なものを描いていたような気がする。「詩とメルヘン」は投稿者が大人中心だったこともあり、かなり大人っぽかったからだ。
 中でも特に強い印象を受けたのが、上野紀子と味戸ケイコだった。 》

《 そして、「詩とメルヘン」といえば、私にとっては味戸ケイコである。「光と影を描く画家」という言葉がこれほどぴったりする人はいないだろうと思われるほど、味戸ケイコの描く夕暮れやカーテン越しの光の鉛筆画は私を魅了した。 》

《 安房直子の話は、異界との接点をテーマにしたものが多く、どれも夕暮れどきに終わりを迎える。その「あわい」と味戸ケイコの描く黄昏のイメージが渾然一体となって、私が世界に感じている違和感と畏れを目の前に見せてくれていたように思えるのだ。 》

 それで東京新聞ほか連載の小説『夢違』の挿絵に味戸さんを指定したのか。

《 上野紀子は『ねずみくんのチョッキ』など、「ねずみくんシリーズ」で既に地位を確立していたけれど、私は断然もう一人のメインキャラクターである「黒ぼうしちゃん」のファンだ。この子はいつも黒づくめの格好をしていて、文字どおり黒い幅広の帽子をかぶっているため顔に影が落ちていて表情が見えないという、幼少の少女ではあるがかなりゴスロリが入っている、上野紀子の作品ではお馴染みのキャラクターだ。 》

 手元にある『くろぼうしちゃん』文化出版局1974年初版は、顔がちゃんと見える。表情もはっきりしている。
http://www.nezumikun.com/blackhat/index.html

 上野紀子だったらやはり画集『小宇宙 鏡の淵のアリス』河出書房1974年だろう。

 義足=切断ヴィーナス。深く揺さぶられる。隠すのではなく、見せる、そして魅せる。しなやかな対応性と柔軟性そして粘り強さ。私はこの数年、左足がやや不自由で走ることは困難。まあ、この歳になって走ることはほとんどないが。走れないことで、ゆっくり生きることを確かめている。力づけられる。
http://www.asahi.com/and_w/gallery/20130703_amputated_venus/
http://www.ethicalfashionjapan.com/2012/06/interview-katayama-mari-jp/

 ネットの見聞。

《 有権者にできることは、これからあとのすべての選挙で特定秘密保護法案に賛成した政党の候補者を全員落とし続けることです。それ以外に民意と官邸のあいだを架橋する方法はありません。民意を侮ると痛烈な反撃を受けるということを統治者に知らしめなければなりません。 》 内田樹

《 ブラック企業とか言わずに「違法企業」って言ったら良いと思うし、サービス残業よりも「賃金未払」の方が実態をよく表しているし、キラキラネームとかDQNネームなんて新語を使わなくても辞書に載ってもいる「珍名」という語の方が適切だと思う。 》

《 「そんなこと私だって思っていた」と「思ったことを実際に書いてみた」のあいだにある天地の開き。 》

 ネットの拾いもの。

《 猪瀬知事の5000万円問題は、時代劇の悪代官のようだ。という日記に「ソチも悪よのう」「ソチではございません。東京でございます」とコメント 》