朝のいのり

 風景木版画川瀬巴水(はすい)展が二館で催されている。千葉市立美術館と太田区立郷土博物館。
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2013/1126/1126.html
http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/kawasehasui_seitan_130nen_kinen.html
 どちらの美術館も熱心な学芸員がいるので、魅力的な展覧会が開かれる。さて、私ならまず太田区立郷土博物館へ行く。こちらのほうが近いせいもあるが、以前から川瀬巴水の展示をしている。図録も買っている。それだけじゃない。タダで見られる。しかし、いちばん見たい初期の版画はもうすぐ展示終了。行けそうにない。

 沼津市のギャラリー・カサブランカで『〜Pray〜祈る〜』展を開催している。牧村慶子さんの素敵なペン画にうっとり。昨日引用した恩田陸のエッセイから。

《 今でも細部まで覚えている本に、牧村慶子が絵を描いた『石の花』がある。大判のフルカラーの絵本で、職人である主人公が「細工をするための素晴らしい石がある場所」に行き、石を掘る場面で、その石のかけらの美しい色とすべすべした触感までが伝わってきて、今でも、当時想像したひんやりした石の触感が思い浮かぶほどなのだ。 》

 「祈る」からの連想で山本沖子『朝のいのり』文化出版局1979年初版を久しぶりに再読。帯には「第4回現代詩女流賞受賞!」。こんなにすごい詩だったとは。平易な言葉のつらなりがこれほどに異なった感興を呼び起こす。おどろいた。長くても2ページ足らず。詩というよりは超短篇、掌篇というべきだろう。詩「就寝」。

《   オレンジ色の手ぬぐいを、きちんと細長く四つに折りたたんで、空高い三日月に、それを掛ける。   》

 本では二行になっている(「たたんで」が二行目冒頭)が、本来は一行詩だろう。どの詩もいいが、「私の部屋──十六歳の頃──」と題された一章から「姫鏡台」。

《   机の上に、私は赤い姫鏡台をおいていた。
    おとといの夜、私はその姫鏡台が、みどり色の炎をふき出しながら、空を飛んでゆく夢を見た。   》

 「行列」という詩。

《   林のなかの道を、人のいない行列がとおった。すみれとタンポポを先頭に、ダリア、ゆり、バラにひまわり、菊、コスモス。
    ある花はかけるように、
    ある花は、つまずいたり、よろめいたりしながら、
    ある花はほこりかに、頭をたかくあげて、とおりすぎた。
    最後に、ちいさな墓石が、花のあとを追うように、ついていった。   》

 「水たまり」

《   おさない子が目をさました。

   「雨がふっているのね、うれしいわ」
   「なぜ、うれしいの」
   「水たまりができるからよ」

    おさない子は、また、眠った。     》

 盛林堂ミステリアス文庫新刊、フランシス・ウィリアムズ・ベイン作品集『闇の精』が届く。松村みね子・訳。ワクワク。

 ネットの見聞。

《 維新山田「第三者機関を確かに設置するのか?」安倍「設置するよう努力する」山田「『設置する努力』とは設置するのか?『する』という答えか?」安倍「『設置すべきと考える』ということでございます」わけわからん。禅問答か。 》

 ネットの拾いもの。

《 ファミ通10年分を自宅に集めたところ、単純に自分の部屋から寝るスペースが消え失せた。
  しかたがないので、ファミ通10年分の上で寝ることになったが、言うまでもなく、これは大変寝心地が悪く、そもそも寝るべきものでもなく、何かの限界を感じた…。 》