ラッパーの気分で「触手」を読む

 お昼まで立教大学セカンドステージの受講生六人を、源兵衛川などグラウンドワーク三島の実践地へ案内。源兵衛川をカワセミが行ったり来たり。前のカワセミと大きさが違うようだ、と皆さん。午後、沼津市のギャラリー・カサブランカへ頼まれ物を自転車で届ける。風が馬鹿強い。カサブランカからブックオフ沼津南店へまわろうと思ったけど、あまりの強風に負けて引き返す。帰りは追い風で楽。

 小田仁二郎(おだ・じんじろう 1910-1979)「触手」(小田仁二郎作品集『触手』深夜叢書社1979年初版収録)を読んだ。男の独白体の文章。それも子どもの書いた作文のような、ひらかなの多用された文章がしつこく続く。

《 ちやわんを、めのまえにおき、もられたごはんを、みつめることさえ、できなくなつた。ごはんの皮が、いちめんに、うすぐろいのなら、私のめも、たえられるのかもしれないけれど、ひとつぶづつの、数しれないつぶが、きらきらの、しろさに、黒いしみがうきだし、あつみをつけ、しろさをおかしながら、いつまでたつても、そのしろさがなくならない。たえず、あつくもりあがる。くろいしみと、なくならない白のきらめき、ひとつぶづつが、白と黒いしみで、うごめき、ひしめき、そのつぶが、ちやわんのなか、いつぱいに、うごめき、ひしめきあつている。これをとりかこむ、ちやわんのしろい面が、いまにも、ひしわれそうだ。私の、眼の触手は、うごめく、黒さに、ふれてとけ、しろのきらめきに、めくるめく。 》

《 ああ、天の一方で松が鳴る。きちがい。ゆがんだくろいかたまりの、屋根をぬけ、血のけない五本の指が、ゆらゆらはえ、くらやみのなかで、ひかりもなく青じろく、掌がはえ、死人の手が、屋根にのびた。みるとひとつの屋根だけではない。もう、家なみの、屋根という屋根に、つめたい死人の手がはえだし、いちように、私の眼に、せまつてきた。 》

 萩原朔太郎『月に吠える』を連想させる、強迫神経症のような文章がえんえんと綴られる。ただ黙読してゆくとうんざりするが、ラップのビートで節をつけて読むと、句読点がみごとに決まってどんどん進む。ラップのビートに乗る小説は初めてだ。異様な熱気の読書体験。1948年(昭和23年)の刊行。アプレゲール叢書の一冊というのが時代を感じさせる。しかし、「触手」はすごい小説かもしれない。小田の愛人であった瀬戸内寂聴(当時は晴美)は栞に書いている。

《 「触手」は、明治以後の文学史の中で、光を放ちつづける作品だと、私は信じている。 》

 「触手」を読む前はどうかなあ、とやや疑問視していたが。海外では思い当たる小説はあるが、日本文学に類例を探すのは困難だ。ましてやラップのビートで読む小説となると。それが1948年(昭和23年)の小説とはなんたる先駆者。いやはや。

 また瀬戸内寂聴(当時は晴美)は書いている。

《 耐えることが生きることだと、彼は口ぐせにいい、書いてきもした。
  耐えない生き方がしたい人間は耐えるべきではないと私はいい返していた。 》

 この二行が、一昨日読んだ奈良の古本屋・智林堂さんのブログを想起させる。

《 妻との協議離婚が成立した。
  何年も前から妻という人間がわからなくなっていた。 》
http://chirindote.exblog.jp/

《 秘保法や安全保障戦略を見ると、これはもう準戦時体制だね。こういうのは怖い。平時に戦時体制を敷くというのは、政権が戦争を望んでいるという事だから。戦争に向かっての道を進み始めたと見なきゃいけない。そんな事にはならないだろう、というような鈍感さは排すべきだね。そこにつけこまれるから。 》 松井計

 ネットの拾いもの。

《 老いてなお左官。 》