昼過ぎから雨。のんびりしていたら知人から電話。車に同乗、ブックオフ沼津原店へ初めて行く。なんと2月11日閉店。バーゲン、二冊で105円では買うしかないが、あるかなあ。隣でカゴにわっさわっさと入れている中年が年配と話している。「部屋は本で足の踏み場もなくて」「わたしはレコードで」。
梓崎優(しざき・ゆう)『叫びと祈り』東京創元社2010年初版、壇一雄『火宅の人』新潮社1979年40刷函付、松山俊太郎・編『日本幻想文学集成 谷崎潤一郎』国書刊行会1991年初版、芳賀徹『詩歌の森へ』中公新書2003年3刷、泡坂妻夫『斜光』角川文庫1991年初版、多島斗志之『不思議島』徳間文庫1999年初版、はやみねかおる『機巧館のかぞえ唄』講談社文庫2009年初版、宮本輝・編『魂がふるえるとき 日本文学秀作選』文春文庫2006年9刷、マルセル・エイメ『クールな男』福武文庫1990年初版、ロス・マクドナルド『凶悪の浜』創元推理文庫1986年25刷。十冊、計525円也。帰宅して確認すれば文庫のダブリが三冊も。こりゃいかん。でも、迷ったら買い、だ。買い逃し、じりじりして後で買いに行くのは……やだ。
川端康成「片腕」が入っているので気になっていた『魂がふるえるとき 日本文学秀作選』で宮本輝は書いている。
《 日本では〈純文学〉というジャンルに組み入れられるものだけが高尚なのではない。文学に純も不純もないのだ。/時代小説、推理小説、ハードボイルド等々にも〈優れた小説〉はたくさんある。 》
《 しかし、それが〈優れた小説〉かどうかは、読む人の人間としての容量次第なのだ。 》
『詩歌の森へ』で芳賀徹はあとがきに記している。
《 いわば一比較文学者の日本詩歌鑑賞集となったのである。 》
この本を開いて三橋鷹女の以下の俳句を知った。
《 堕ちてゆく、炎(も)ゆる夕陽を股挟み
と、鷹女はいよいよ妖女、鬼女となり、ほとんど日本のアルチュール・ランボオとなってゆく。 》
選集、アンソロジーにはなぜか惹かれる。選者の審美眼に導かれて未知の作品世界が啓かれる、それがいいのだろう。正津勉『詩人の愛 百年の恋、五十人の詩』河出書房新社2002年初版の前半を読んだ。これも選集。
《 恋する者はいつも相手のむこうに、相手を超えたなにものかを感じとっている。その奥行きが目をくらませる。だがそのくらんだ目が、ふだん見えぬものを見る。世界は美しい文脈のなかでよみがえる。 》 谷川俊太郎「世界は美しい文脈のなかでよみがえる」より
まえがき冒頭でこんな詩を読まされるとは。恋とまさしくこういうもの。ど真ん中だ。この詩句を読んだだけで、後はもういい、という気分になった。恋の終るときはこの逆になる。
「書物復権2014」の復刊候補に目崎徳衛『西行の思想史的研究』吉川弘文館。1979年2刷を当時購入。いつか読もうと今日に。マルグリット・ユルスナール/多田智満子訳『ピラネージの黒い脳髄』白水社初版1985年も。唐十郎『特権的肉体論』白水社初版1997年。この本は持っていないが、どこかで見た記憶のある題名だ。本棚には唐十郎『腰巻お仙』現代思潮社1968年初版、その帯に「特権的肉体論」。内容は「特権的肉体論」と戯曲「腰巻お仙」の二部構成。扉写真は森山大道、ポスターは横尾忠則。出版当時に購入。熱い時代を感じる。ジョルジュ・ベルナノス/山崎庸一郎訳『悪魔の陽のもとに春秋社』初版1988年は知らなかった。手元には木村太郎/訳『悪魔の陽の下に』国書刊行会1975年初版。これも出版当時に購入。昭和の時代にはブックオフが無かった。古本屋にも惹かれる本はわずかだった。今昔のあまりの隔たり。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/fukken2014/archives/cat713/
ネットの拾いもの。
《 有給は使えず・・遊休 。漫画喫茶を満喫。 》