丸谷才一『みみづくの夢』中公文庫1988年初版読了。卓見、知見に満ちたエッセイ集だ。よく練られた密度の濃い、けれども重苦しくはない闊達な文章。感服。荒畑寒村の『寒村自伝』について論じた「あの少年のハーモニカ」から。
《 この、今の風潮に向いている年寄りは、ほかにも何人かゐるだらう。たとへば映画評論の植草甚一と淀川長治。探偵小説の横溝正史。批評の林達夫と吉田健一。彼らはみな、十年前にはさほど人気のない人々だった。それが今こんなに受けてゐるのを見ると、隔世の感を禁じ得ないが、これはつまりこの十年ほどで日本の価値観が改まったせいである。どいういうふうに改まったのかと言へば、自分の道楽に熱中して一生を棒に振ることがむやみにしやれたことになつたのだ。 》 74頁
《 彼らはみな富国強兵といふ明治時代の理念に背きつづけた。頑固に意地を張つて、ソツポを向き、しかし悠々と、自分のしたいことをした。その遊戯三昧の一生が、実用主義への反抗のゆゑをもつて当節の若者たち娘たちの心を魅惑するのである。 》 74頁
この元本が出たのは1985年。「四畳半襖の下張裁判二審判決を批判する」から。
《 しかしそれならわたしもまた問ひ返しますが、文学や思想において「真摯」とは一体どういふことか。もつともらしく構へて大真面目に振舞ふ態度は、非常にしばしば、低劣な偽善、表面だけの形式主義、悪質な猫つかぶりに陥りやすいものではないか。われわれは文学について語る場合、一見、道徳的な美談や、表面、健全で善良な倫理的主張が、実は最も頽廃した劣悪な精神の所産であることが多いといふ事情を忘れてはなりません。 》 141頁
「大岡昇平」から。
《 小説家も社会学者も、日本の庶民に対してじつに暖かく、好意的に接している。しかし、それが暖かく、そして好意的であるだけに、かへつて、知識人としての自負が読者に感じとられる接触の仕方であるやうにぼくには見える。そこにはたいへん微妙なものだけれども、エリート的な意識があると言つていい。 》 224頁
《 逆のほうから見れば、大岡はさういふ屈折まで正確にとらへる文章を書いてゐる、といふことになるかもしれない。 》 225頁
以前読んだ石川淳『至福千年』、大岡昇平『花影』『野火』など、自分は一体何を読み取ったのだろう? と愕然とする。恥ずかしいわ。つづく王朝和歌と現代の短歌の鑑賞も眼が洗われる思い。綱渡りのような深読みの面白さにくらくら。エッセイとは、の一見本だ。
風がないのでブックオフ三島徳倉店へ自転車で行く。宮脇俊三『最長片道切符の旅』新潮社1981年9刷、養老孟司『養老孟司の人間科学講義』ちくま学芸文庫2008年初版、計210円。前者は、北海道広尾駅から鹿児島県枕崎駅までのぐるぐる片道切符。通過駅3186駅。乗車券の通用期間68日。運賃65000円。通過した線路だけ見ても眼が回る。今じゃ廃線が多くてできない。
ネットの見聞。
《 原発というのは、東京や大阪に電力を供給するために地方を補助金漬けにして作ったものなんだから、東京は関係無いなんてことがあるはずもない” 同感!地方に甘えたまま30年を無駄にし、その間に代替エネルギーの準備もせず、安全対策もおざなりにしてあの惨事が起きた。 》