「江戸文化評判記」

 昨日買った中野三敏『江戸文化評判記』中公新書1992年初版を読んだ。言われてみればそうだなと気づかされる事柄が多々あって、通説・思い込みの部屋の窓が開いて視野がぐっと拡がった気分。じつに愉快。これは良書だ。

《 浮世絵の春画はなにゆえあれを大きく描くのか。 》 「十一 春画の見方」96頁

《 それは笑いのためであると、私は確信する。江戸人にとって春画は笑いの対象であり、笑いながら見るものだった。 》 「十一 春画の見方」97頁

《 一方ではまた、江戸の春画をたいそうな芸術品あるかのごとくいう傾向があるが、これもいささか困ったこと。江戸の人にとってはこれも笑いの種にはなるが。 》 「十一 春画の見方」98頁

 こんな具合に通説・常識をコテンパンに笑い飛ばす。葛飾北斎も同様。

《 北斎はまた�柤斎(けいさい)の真似ばかりした。(引用者:略)もっとも、真似ることは別に不名誉なことではなく、いかに新味を加えるかが腕の見せ所だから、その点、北斎の腕は確かなのだが、いかんせん品格において、�柤斎に劣ること数等と、ここまでいえば十分だろう。 》 「巻ノ四 筆休め」109頁

《 その気になれば集め得る資料は案外早く集まる。問題はそれ以上が勝負なので、これは集めようなどと思わず、ただ漫然とそれが目の前にあらわれるのをまつ以外はない。十年から二十年はかかるのが普通である。それだけ楽しみも長い。 》 「巻ノ五 伝記屋開店」132頁

 こういう姿勢だから、易しい語り口の下地は実に広大肥沃。いやあ、愉快だった。「まえがき」から。

《 この世界では「若さ」はまちがいなく「馬鹿さ」と同義語である。 》

 読書しながら頭は某個展で販売するグッズ用に依頼をされたキャッチコピーに頭をひねる。浮かばない、浮かばない。気分転換にブックオフ長泉店で文庫本を六冊。坂口安吾『能面の秘密』角川文庫1978年6刷、ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド(一〜五)』岩波文庫2012年7刷他、計630円。帰宅して案文を送付。OKが出る。やれやれ。のんびりボケてもいられないわ。

 ネットの拾いもの。

《 「私は、ウィスキーが私から奪うより多くのものをウィスキーから得ている」 》

 昨日の『学校の殺人』から。

《 「釣竿かついでサハラ砂漠へ」 》