「すい・つう・いき」

 昨日のブログ、画家のけいさいのケイの字が文字化け。恵に草冠を足し、心の上にムを加えたような漢字。その『江戸文化評判記』では「十、『いき』についての野暮な解説」の項で次のように書かれている。

《 ただし『いきの構造』は天保(一八三○〜四四)ころの江戸の美意識という点に絞った「いき」の現象学的解釈であり、「いき」ということばのもつ歴史性についてはあえてふれられていない。 》 94頁

《 具体的には、私自身「すい・つう・いき」と題した論を発表(講座『日本思想』第五「美」巻所収)してもいるので、それに譲ることにして、「いき」をいきにいいあらわすことは、なかなか私風情の手には負えない。 》 95頁

 本棚から『講座日本思想 5 美』東京大学出版会1984年初版を取り出し中野三敏「すい・つう・いき」を読んだ。「すい」「つう」「いき」の三様態は、廓の歴史のなかで生きてきた。「すい」は水であり推であり粋である。「つう」は通。

《 「いき」な姿、「いき」な色、はあるが、「すい」な姿や「すい」な色、あるいは「つう」な姿や「つう」な色といった表現は殆どない。また「すい人」や「つう人」の語は成り立つが、「いき人」という表現はまずない。以上の事からもこれまで述べ来たったごとく、「すい」「つう」の語が連続的に考えられたのに比べて「いき」は異なる範疇に属するものであろうことは推測するに難くはない、 》 云々

《 「すい」といい「つう」といい「いき」という、いずれも近世期の遊里文化という特殊な土壌の中で芽を出し、育まれていった独特の存在様態である、とは本稿冒頭に述べた言葉である。そして遊里(廓)とは、封建制度下において異性間の尋常ならざる交渉を持つことを公に許された唯一の場所として存在した。 》

《 廓という場所は日常の世界から隔離された場所である。しかしだからといって、非日常の世界ではあり得ない。 》

 深い洞察と綿密な論考に、一般の通説・常識に反旗を翻そうとする、江戸学者の静かなる気概を感じる。

 ブックオフ長泉店で二冊。サキ『ザ・ベスト・オブ・サキ II 』サンリオSF文庫1984年3刷、ジェイ・パリーニ『終着駅 トルストイ最後の旅』新潮文庫2010年初版、計210円。友だちの車に同乗してブックオフ沼津港店へ。東野圭吾『マスカレード・ホテル』集英社2011年初版、北原童夢・早乙女宏美『「奇譚クラブ」の人々』河出文庫2003年2刷、計210円。

 ネットの拾いもの。

《 京大は使える天才、東大は使われる天才 》