「地図のない街」

 雪、風。♪雪は降る〜あなたは来ない〜♪ ♪風雪流れ旅〜♪ 昼過ぎには積雪〜。歩くと滑りそう。私は家こもり〜。昨日より少し暖房の目盛りを上げる。昨日より少しアンプの目盛りを上げる。九時から十時半へ。晩から夜になった目盛り……メモリ〜。音量は思いのほか増し、爪弾く絃の弾ける空気がはっきりと出現してきた。熱いぜ、ジャズは。これでなくては。

 一昨日からジャズ・ギター奏者ウェス・モンゴメリーのアルバム『 The Incredible Jazz Guitar Of Wes Montgomery 』1960年録音と『 Full House 』1962年録音をLPレコードで聴きまくる。ピアノ伴奏は前者がトミー・フラナガン Tommy Franagan、後者はウィントン・ケリー Wynton Kelly 。どちらも日本で人気。二人の異なった個性が際立つ伴奏。どちらも好みだが、サイドメン(伴奏)のときのトミー・フランガンは手堅い脇役に徹する。ソロ演奏のときは、煌き輝くダイヤの揺れるネックレスのように、珠玉の音がキラキラキラと超絶的な光芒を放つ。ぞくぞくする。トミー・フラナガンがサイドメンを務めた演奏で、彼のソロ演奏が外れたものは未だに聞いたことがない。

 それにしても、こんなに繰り返し聴くのは平成になって初めてか。エチオピア、ナイジェリアそしてジンバブエの新しい生きのいい音楽にはない見通せない深いなにかが、五十年以上前のジャズにあるのかな、たぶん。二十代に聴いた時よりも鮮やかに聞こえる理由の一つは、ステレオ装置の性能が当時より向上しているからだろう。もう一つは、周囲の積本山脈が反響音に良い影響を及ぼしているのだろう。つづいてカーティス・フラーの『 Blues Ette 』1958年録音を聴く。フラナガンのピアノがいいねえ。
 http://www.youtube.com/watch?v=VTNGJQyb0CQ

 しかし、こんな荒れた雪の日でなければ、昼間から音楽をガンガンかけないわな。考えてみれば家こもりではなくて、風雪で家から出られない。こういう日には夜、ご近所のスーパーへ生鮮食料品を買出しにいきたいけど、いかんせん風雨が強い。しかも凍り始めている。

 ネットの拾いもの。

《 ノルディックスキーが欲しい。ノルディックスキーでコンビニに行きたい。 》

 風間一輝『地図のない街』早川書房1992年初版を読んだ。四十歳になろうという真面目な支店長がチンピラからの暴行事件を機に気持ちが一転。

《 ただ、私にまとわりついている煩わしいものを切り捨てて、どうなるかわからないが、いままでと違った生き方をしてみることにしただけのことだ。 》 51頁

 離婚に踏切り、一般社会から逸脱していく。そして山谷の住人に。

《 アル中が、自分一人の意思で酒が絶てれば苦労はない。私だって、できることならとっくに絶っている。 》 60頁

 真夏の山谷に連続して起こる行き倒れという不審死……。断酒を断行しながら不審死を追究する三人の中年アル中。いやあ、断酒は酷い。吾妻ひでおの本で聞きかじってはいたけど。酒を呑みたくなくなる(のは私だけか)。

《 幸せはつねに束の間だ。だから幸せでいられる。 》 153頁

《 人間が生きていく場合、どんなに薄い紙にも表裏があるように、片面だけでは生きられない。 》 185頁

《 天国に比べて地獄は、いかにもおもしろそうだ。悪徳の限りを尽くし、波瀾万丈の人生を送った連中の宝庫に違いない。天性の色香で男を眩惑させた絶世の美女もわんさといるだろう。 》 230頁

 うーん、ハードボイルドだ。傑作と呼びたくなる。「地図のない街」山谷。何年か前に歩いたことがある。そこにあるカフェ・バッハが目当て。午後だったのでひっそりした雰囲気の街だった。

 昨日の米澤穂信追想五断章』は、平成四年に始まる。平成四年=1992年=風間一輝『地図のない街』その年の三月刊。物語はその時代。何の気なしに読み始めたのだけど。『追想五断章』は、大学を中退して就職へ向う若者、『地図のない街』は自ら定職から外れた中年男。どちらも心に重いものを抱えている。

 ネットの拾いもの。

《 京都大学が何か失敗してカラマワリしないかな。そしたら「カラマ−ワリの京大」というダジャレを書けるのに。 》 山田正紀

《 「いやな都政だなあ」 》