「闇のなかの黒い馬」

 東京西荻窪の書肆盛林堂から刊行されたバアナアド・ショウ『船長ブラスバオンドの改宗』松村みね子・訳が届く。いつ読むか。今じゃないことは言える。

 埴谷雄高『闇のなかの黒い馬』河出書房新社1970年初版を再読。駒井哲郎の漆黒をイメージした銅版画の装丁、B5版の堅牢な本。「闇のなかの黒い馬」「暗黒の夢」「自在圏」「追跡の魔」「変幻」「宇宙の鏡」「《私》のいない夢」「夢のかたち」「神の白い顔」の九つの短編から成る。題名を書き写すだけでワクワクする。リー・モーガン Lee Morgan 『ザ・サイドワインダー THE SIDEWINDER 』がバックグラウンドミュージック。いいねえ。闇だよ、暗黒だよ。

《 しかも、そこには、一種戦慄に充ちた不思議な眩暈と、嘗て私達が出てきたところへ還つてゆくような、敢えていつてみれば、《静謐な虚無》のなかへ無垢な嬰児のごとく睡りこむ一種甘美な陶酔さえ備つているのだ。 》 「闇のなかの黒い馬」

《 私自身は、自らに自らが重なつて、光が自発するまで闇を凝視めつづけているつもりだ。 》 「闇のなかの黒い馬」

《 そこは、敢えていつてみれば、或る種の《未動》の場所であつた。まだ動きださない原始の宇宙がその将来を予期しながらなお凝然と蹲つているごとくなのであつた。 》 「《私》のいない夢」

《 私は、その頃、抑えがたい魂の渇望の必然な成りゆきとして、《存在》を夢みようとしていた。 》 「神の白い顔」

 暗黒空間=宇宙を題材にした、無類無比の夢日記(というかたちの小説)。読了して全く無縁のようなことへ思いが飛んだ。夜の漆黒が皮膚に押し寄せる空間と、インターネットの虚構の色彩空間。ラジオが中心だった時代からテレビ時代と歩んできた私の世代と、平成生まれのネット環境で育った若い世代とは、その世界観、世界感が土壌から違うだろう。その隔絶、径庭はいかほどのものか。私たちが昭和後期人とすれば、若い人は平成人。旧人類と新人類の違いほどか。昭和後期人たちが共感、共振で連帯するとすれば、平成人たちは響感、響心でつながる。そういえば『闇のなかの黒い馬』刊行の頃、「連帯を求めて孤立を恐れず」というキャッチコピーがあった。今なら「つながりを求めて個立をめざす」か。

 ネットの見聞。

《 伝統を守ろうという掛け声が上がると、その道具が廃れつつあることの前兆。 》

《 “弱点”と“欠乏”こそが、自らの“力”となる。危機をチャンスに変えるための〈独創性〉を持て。 》

《 人間関係や社会を円滑にするのは社交なんですよ。本心は別にあっても、その場その時にふさわしい身振りをしていれば、とりあえず人間関係も社会も円滑になっていく。で、総理大臣とか国を代表する人物にはその能力に長けてもらわなくちゃ困るわけです。本心なんてとりあえず、どうでもいい。ふさわしい言葉、ふさわしい行動を取ることが、まずは必要。 》 豊崎由美

 ネットの拾いもの。

《  葛西選手って『ケータイ大喜利』に投稿してんのかな。それでレジェンド。 》

 同じことを思っている人がいた。