強度と強み

 セザンヌの画面の並々ならぬ強度。その強度はどこから来るのか。

 セザンヌとは何か。あるいは何だったのか。いや、過去形では私は語れない。例えば洋画を鑑賞するとき、何を規準に優劣を判断するか。私は規準にジョルジュ・ド・ラ・トゥールセザンヌの作品を置く。セザンヌは大気感を描くのではなく、大気の厚み、層を描いた。岩肌を描くのではなく、岩の存在、その厚みを描いた。山容を描くのではなく山の存在、その深さを描いた。あるいは描こうと悪戦苦闘した。その試み、挑戦が成功したかどうかは、非力な私には判定できない。ただ、存在感の描写を打ち破って、存在そのものを描こうと挑戦したことは確かだろうと私の直感は示す。

 未開の地にセザンヌが初めて切開した領野を基点に、ピカソマチスらがさらにその先を切り拓いていった。存在感から存在へ。そして存在のその先へ。存在の礎を土台に、跳躍するものたち。大気の厚み=抵抗を肌で感じる者もいれば、空気は空、と空気抵抗を考えないまま飛び上がり、地面に叩きつけられる愚か者もいた。

 油彩画の技法の極みにセザンヌは位置している。あるいは描写技法の分水嶺をまたいでいる。その斜め先にはリアリズムの荒野。直進したセザンヌは、そこで息絶えた。(その前にセザンヌは超絶的な水彩画を遺した。その水彩画を私はとても重要だと直感している)

 対象描写の迫真性に対峙する、画家の精神の迫真性。セザンヌは両方の迫真性をまるごと描こうとした。ぐいぐいと押す筆触で対象を分解するほどに。セザンヌはファン・ゴッホの強迫性のその先へ進んだ。

 セザンヌの絵は、私にとって深い謎の巨大な山岳。その存在の圧倒的な苦闘を感じるのは何故だろう。こういう表現を私にさせるのは何故だろう。セザンヌは西欧の文化の枠を突き抜けようとした、と私は思う。窮屈と感じる西欧文化の境=壁を正面突破しようとしたセザンヌ。西欧と日本、拠って立つ文化の際立つ隔たりをひしひしと感じるけれども、西欧文化の枠組みの根本的な組み換えに挑戦する(と私は考えている)彼の意気込みと苦闘に、心を打たれる。

 分水嶺、その強固な山岳のありように気づいた者は、後続の西洋人だけではなかっただろう。遠く隔たり離れていればこそ見えてくるものがある。隔たっていればこそ、輪郭は見えても足元の土台は見えてこない。

 セザンヌに感銘を受けた、西欧から遠くかけ離れた者は後追いではなく、自らの文化のありようの中に立ち、セザンヌとは違った方法論を模索、追究してゆくしかない。

 雨の一日、アファナシエフブラームス 後期ピアノ作品集』1992年録音を聴きながらそんなことをつらつら考えていた。ふっと息を抜くと安藤信哉の晩年の水彩画が思い浮かぶ。セザンヌの強靭な思索から生まれた剛直な絵の強度。安藤信哉の透徹した思惟から導き出された融通無碍……の絵の強み。

 ネットのうなずき。

《 この世界で最も重要なことは人々が自由に暮らすことです。
  国家も法律も社会制度もそのための道具にすぎません。
  道具を目的より大事だと思う人はアホです。         》 池田清彦

 ネットの拾いもの。

《 Yahoo!知恵袋「曲名を教えてください」の回答者がすごい! 》
 http://matome.naver.jp/odai/2136271454682896101

《 「最高責任者は私だ」から「サイコ責任者は私だ」を思いついた。
  あまりの恐ろしさに笑いが引きつってしまう。           》