「複製技術の時代における芸術作品」

 昨日、知人女性からある芸術家の死(それも数年前)を知らされた。ネット検索にひっかからないが、本当だろう。三十余年前、先年亡くなった文芸雑誌編集者からの案内状で画廊へ行き、驚いた。作品を手に黙想。リー・モーガン『ザ・サイドワインダー』が、追悼曲のように聞こえた。昨日は啓蟄というのに今朝は雪が舞う。北一明「白雪釉茶碗」を手に乗せる。ほんわりとした白雪釉。残雪や胸に沁み入る土の色。

 ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」(『ボードレール ベンヤミンの仕事2』岩波文庫1994年2刷収録)を読んだ。

《 政治の耽美主義をめざすあらゆる努力は、一点において頂点に達する。この一点が戦争である。戦争が、そして戦争だけが、在来の所有関係を保存しつつ、最大規模の大衆運動にひとつの目標を与えることができる。政治の側面からは、現在の事態はそうまとめられる。技術の側面からは、つぎのようにまとめられよう。戦争だけが所有関係を維持しながら、現在の技術手段の総体を動員することができる。 》

 1936年の発表。訳が私に合わず、短い論文なのにえらく難儀した。

 ネットの見聞。「<田母神氏>61万得票の意味 背景に若者層の不安、危機感?」

《  そういえば、話を聞いた人たちは「損をさせられている」という感覚が共通していた。相手は中国・韓国だったり、米国だったり、上の世代だったり……ひょっとして「日本を取り戻す」のではなく「損を取り戻す」が支持のツボなのか。だとしたら、強い国になって何を「得する」つもりなのか。

   もし「取り戻す」まで「田母神的なもの」の支持が続くなら、次の選挙でも一定の支持が集まりそうだ。 》 毎日新聞夕刊
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140307-00000003-maiall-pol