「世紀末の思想と建築」

 雨の一日。朝、ゴミ出しで、裏口から出てぐるっと回って玄関ドアを開け、中のゴミ袋を手にドアを見ると、閉まっている(当然)……壊れているので内側からはドアが開かない。再び裏口から出て回り、ドアを開けておいてゴミ袋を出す。しばらくして業者来訪。鍵本体を取り替える。やれやれ。

 雨なので一日中家こもり。用事もなくぶらぶら。ネットには《 【フォーストロール博士言行録 (1985年) (フランス世紀末文学叢書〈6〉)/アルフレッド・ジャリ】原著1898/1911年 》を読んだという記事。本棚に鎮座している。ジャリも読まなくてはなあ。他の本棚には持っていないと思っていた、イタロ・カルヴィーノ『木のぼり男爵』白水Uブックス1995年初版。あれれ。ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』なんか白水Uブックス1989年初版と1985年の元版も。記憶力の減衰を実感。困惑するのは、例えば『アルゴールの城にて』だと、訳者安藤元雄が後発のUブックス版では訳に手を入れてあること。翻訳の場合にはよくあることだけれど。1978年に白水社から出たドーマル『類推の山』の訳者巌谷國士は1996年に出た河出文庫で書いている。

《 ざっとそのような思い出ののこる書物だから、文庫に入るからといってあまり手直しすることはしない。 》

 その彼の訳したマックス・エルンスト『百頭女』河出書房1974年初版の1996年に出た河出文庫版のあとがき。

《 (もちろん、こんどは決定版をめざして大幅に改訳したが) 》

 元本を愉しんでいた身にはなんだかなあ、だ。現役のミステリ作家では島田荘司が増刷のたびに手直しをし、横山秀夫は文庫化にあたって手直しをしている。決定稿を読むのが本望だけれど、そんなことを考えていたらいつ読めるやら。まあ、高村薫のように改稿してよくなったのかどうか、という例もあるし。今読んでいる磯崎新多木浩二『世紀末の思想と建築』岩波書店1991年初版では磯崎新が書いている。

《 いま読みかえしてみると、とぎれとぎれになった超スピードで記したメモランダム、そんな感じですね。 》

 やたら手を加えないほうがいいこともあるだろう。磯崎新=建築家の連想で。静岡県富士宮市に四十億円で建設予定の富士山世界遺産センターの建築が、坂茂(ばん・しげる)の設計に決まったとか。
《 採用されたのは県産の木材をふんだんに利用した逆さ富士の形をした建物を全面ガラスで覆ったデザインで、外からも眺めることができるようになっています。
  また、外に水を張ることで逆さ富士の形をした建物が水面に反射するように工夫されています。 》
 http://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/3035930931.html

 十ニ年前に坂茂の設計で建築された特種東海製紙の紙の博物館「Pam 三島」を連想。総ガラス張り。階段も仕切り壁もガラス。維持管理にやたら手間(=金)がかかる、と会社関係者から聞いた。今回もその二の舞になりそうないやな予感。
 http://www.tt-paper.co.jp/pam/pam/index.html

 ネットのうなずき。

《 「新しいものっていうのは、必ずこんなところから出てくるとは思ってもいなかったところから出てくるものだ」大瀧詠一 》

 ネットの見聞。

《 NHKニュース7も『東日本大震災3周年追悼式』で天皇陛下がお言葉を述べられるシーンを放送したが「この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています」という部分はカットしていた。 》

 ネットの拾いもの。

《 基本的に原稿手書きなので、コピペなどしたくてもできねえな。 》

《 還付申告すれば税金戻ってくるのに源泉徴収されっぱなしで放置することを、業界用語では「源泉掛け流し」と呼ぶそうです。 》