「世紀末の思想と建築」つづき

《 磯崎──それは最近ますますはやっています。建築界で典型的なのは、黒川紀章の立場です。彼は、"利休ねずみ”などと称して日本的な断片を利用しています。さらには西欧中心主義思考にたいする内部批判を逆手にとって、日本という安全圏にいることに無批判なまんま、日本的なもの、江戸的なものを正当化しようとする。最近はリオタールや、ボードリヤールの言説さえも援用しています。 》 119頁

《 多木──美術館というもの自体がいったい現代社会や都市のなかでなんであるのか、ということが実は根底にあるのと思います。 》 154頁

《 多木──美術家の場合、感動を受けるのはそういうところですね。例えばセザンヌのような人にしても、彼は決して絵の上手な人じゃない。そして、一番根源的なことに直にぶつかって形として追及した。それが次の世紀を完全に支配するようになるという驚くべきことが美術家の場合は起こる。 》 181頁

《 多木──確実な先が見えないということに直面しているのを歴史的存在というんじゃないですか。先が見えていないところに自分が開かれているということが、自分が歴史的存在であることだろうと思うんです。先が見えるということが歴史の問題なのではないと思います。
  磯崎──歴史の問題だけではなくて、すべて無理なんじゃないですか、先が見えるというのはね。 》 208頁

 なんとも場違いな討論に参会してしまったという読後感。多用される外国語にはほとほと手を焼いた。メタボリズム、コントリビュ−ション、ノイエザッハリッヒカイト、プライマリイ、トートロジー、コード、ディスクールオブセッションコノテーショントークン、シニフィエシニフィアンエフェメラル、マニエラ、モノグラフ、プロブレマティック、ディコンストラクション、テクネー、フォルマリズム……三分の一までで英独仏語がこんな具合。ピュイサンスだけは(力)とカッコで訳されているが。普段使わない外国語なので訳を忘れていて戸惑ってしまう。外国語でなければならないほどの理由があるのなら少しは納得できるが。

 そして末尾近くにドカンと来た。

《 磯崎──エシックとは僕もきちんと説明できませんが、人間も含めて世界の内側にものがうみだされ、その在りかたの基準となっているもの、と仮りにいっておきます。 》 223頁

《 多木──ただこだわるようですが、エシックというのはストラテジーではないんですか。 》 226
 エシック=ethic=価値体系
 ストラテジー=strategy=戦略

 JR東静岡駅前の、船がひっくり返ったような「グランシップ」も磯崎新の設計だった。壁面材が落下したり問題ありの建物だ。私の好みではない建築が多い。この辺は日を改めて他の建築家の建物と較べて考えてみたい。
 http://d.hatena.ne.jp/stnet/20100930/1285830473

 朝、昨日のつづきで源兵衛川上流部、石垣のヒメツルソバの駆除。目標とするところは大方駆除。後日一回やれば目標達成かな。以前抜けなかった根が弱っているのか、今回は太い根がかなり抜けた。根は深く張っても茎がないとへたるのかな。

《 植物界のエボラ出血熱と呼ばせていただきます。→ヒメツルソバ 》

 ブックオフ長泉店で三冊。篠田真由美『祝福の園の殺人』東京創元社1994年初版帯付、田原総一郎『日本の戦争』小学館2001年5刷帯付、小阪修平『そうだったのか現代思想講談社+α文庫2006年9刷、計315円。

 ネットの見聞。

《 大気汚染のため今日から今週末はパリの交通機関が無料!こういう気前のいいサービスがフランス。 》

 ネットの拾いもの。

《 ガメラVSゴジラ見たいけど大映ヒーローVS東宝ヒーローは「座頭市と用心棒」という悪しき前例があるからなあ。どちらも負けさせてはいけないというんで気の抜けたような映画になってしまった。あんなに情けない映画はなかった。 》