「炎の造形」

 天気晴朗なれど風強し。富士山頂上は雪煙。西風が強いので国道136号線を南下、ブックオフ函南店へ自転車でいく。松田瓊子(けいこ)『七つの蕾』国書刊行会2001年新装2刷、石持浅海『賢者の贈り物』PHP2008年初版帯付、同『玩具店の英雄』光文社2012年初版帯付、乾くるみ『六つの手掛り』双葉文庫2012年2刷、田中聡『ハラノムシ、笑う』ちくま文庫2003年初版、バーゲンで一冊80円、計400円。

 K美術館を閉めて書籍をいくつもの段ボール箱に詰めた。自宅に保管してある箱を開封。北一明『炎の造形』山海堂1985年初版を取り出し再読。

《 つまり視覚が硬直化し動脈硬化現象をきたしていますと、美の多様性の中のすぐれた代表的美意識の一つとしての「侘び」「寂び」という発想がなくなり、「侘び」「寂び」以外は美でないという短絡的視点が生じます。今日の目で客観的に焼きものの美しさというものを考えた場合に、侘び寂びの系譜からくる美しさは、閉ざされた美意識といってよいのではないでしょうか。その道に深い造詣が生まれれば生まれるほど、視界が狭くなり、結果として浅薄になり、深化し純化するということとはやや異質のぬきさしならない悪しき面をすらもつようになります。 》 20頁

《 茶道と焼きもの発達史と表裏一体という事実は、同時に、焼きものの価値観の二重構造を生んでいる原因ともなっています。つまり、焼きものの美的価値という純粋な焼きものの評価の側面と、茶道の道具としての、いわば侘び茶としての道具の使用価値の側面という二重構造をもっているのが現実です。 》 20頁

《 焼きものの重要なポイントは、炎の主導権を握るということです。自分がこう焼きたい、このように求めたい方向に焼成技術によって、その目的を達するという姿勢です。 》 43頁

《 焼きものが、頭脳労働によって支えられたとき、焼きもの界そのものが、あらゆる価値観、思考行動様式において意識変革されることでしょう。そうなりますと、美術芸術の流れの中で焼きものの評価存在が、必ず見直されるにちがいないのです。ただし、今までのように使用価値のみにウェイトがしぼられた場合はこのかぎりではありません。 》 50頁

《 すでに指摘しましたように、すぐれた焼きものを自らの手で創りだすことではなくて、窯の変化==”窯変”によって期待するという発想では、芸術とはいえないのです。 》 52頁

《 しかも、さきほどももうしあげましたように、原点をある特定の時代に求めたりすることによって、歴史の厳しさ、歴史のとらえ方に対する根本的な誤りをおかしている現状では、その発想とともに陶の芸術とはいえないことはいうまでもありません。 》 52頁

 「炎の主導権を握る」。この本が出て三十年。道は遠い。だからこそ挑む。

 ネットのうなずき。

《 対岸は目の前に見えている。そこへたどりつく手段が見あたらない。 》 智林堂書店

   落丁一騎対岸の草の葉   加藤郁乎  (某サイトでは一機と誤記)

《 人がどう思おうが自分がいいと感じるものをいいと言うために時間を割き足を運び目撃する。名声や老若、評判などまったく無意味。 》 椹木野衣

 自分がいいと感じるものをいいと言うために買ってきた。味戸ケイコ、小原古邨、北一明、白砂勝敏、深沢幸雄……。

 ネットの見聞。

《 architectureは技術をもってモノをヒトのほうへと導く。それに対してdesignは、あくまでもヒトの心理の側に立ってモノを引き寄せる。どちらが欠けてもモノはヒトに届かない。 》 内藤廣

《 イスラエルに武器輸出すれば、世界中のイスラム国が敵になる。中東ばかりではない、アジア、アフリカ広域に亘る。そして、アメリカの軍需産業と敵対する。もはや四面楚歌。 》 藤岡真

 ネットの拾いもの。

《 辞めていいとも! 》