「そうだったのか現代思想」つづき

 雨。昼過ぎて風が強まる。夕方上がったので強風の中、近所のスーパーへ食料品を買いに行く。やや、袋物の食料品棚がスキスキ。牛肉、卵、豆腐、納豆、バナナなどをカゴへ。ついでに日本酒四合壜も。昨夜今年初めて小瓶の日本酒(純米)を呑んだら旨かった。

 ネット注文して届いた葉山修平の二冊『日本いそっぷ噺』大和出版1960年初版帯付と『終らざる時の証し』ニトリア書房1971年初版帯付を眺める。深沢幸雄氏の銅版画が表紙で購入。後者の帯、野坂昭如の推薦文から。

《 すぐれた小説はすべて時代の証人的面を持ち、作者の志を通じて、そこに生きた人間の営みを、あざやかにえがき出し、ついに特定の時代にとどまらず、不変の価値を有するにいたる。 》

 「すぐれた小説は」を「すぐれた美術品は」に置き換えても通じる。

《 すぐれた美術品はすべて時代の証人的面を持ち、作者の志を通じて、そこに生きた人間の営みを、あざやかにえがき出し、ついに特定の時代にとどまらず、不変の価値を有するにいたる。 》

 小阪修平『そうだったのか現代思想講談社+α文庫では、第一部水源篇として「ニーチェ」、「フロイト」、「ソシュール」、「ハイデガー」、「サルトルレヴィ=ストロース」の五章が割り当てられている。第二部展開篇として「デリダ」、「ドゥルーズ=ガタリ」、「ロラン・バルトボードリヤール」、「フーコー」が取りあげられている。錚々たる人選だ。著作をまともに読んだのは、ニーチェサルトルくらいか。フロイトハイデガーレヴィ=ストロースロラン・バルトボードリヤールドゥルーズ=ガタリフーコーも本は持っている。いつか読もうと思っている。そう思って幾星霜。

《 哲学と科学のちがいを別な言葉で言えば、哲学は根底、物事の底にあるもの、あるいは原因になっているものを問う考え方です。科学というのは、物事をきちんと誰にでも通じるように明らかにするために、むしろある枠を決めて問うやりかたです。 》 167頁

《 世界を体系的に説明しようとしたところでは、説明できないものが必ず出てくる、というのが現代思想の出発点だったわけです。 》 156頁

《 ニーチェが死んだ一九○○年に二十世紀ははじまり、現代思想もはじまったのである。 》 4頁

《 時代はもう二十一世紀に入ってしまったが、現代思想の意味はいまだに変わってはいない。 》 4頁

《 現代思想とは、ぼくたちが生きている時代と同じ時代の思想なのだ。 》 3頁

《 ぼくはこの講座をやりながら、あらためて感じたんですけれども、ヨーロッパの哲学史をずっとつらぬいてかれらがいろんなかたちでめざしてきたものは何かというと、自由だと思うんです。その自由をどういうふうに求めていくかというのが、昔のプラトンやカントの哲学、それからニーチェ、また現代思想ではそれぞれにちがっている、というのがヨーロッパの哲学にたいするわかりやすい接近ではないかと思うんです。 》 385頁

《 正義を強くとなえるということは、これは評論家の竹田青嗣(せいじ)君が言っていることでもあるんですが、自分の活きていることが不遇である。十分に報われていないという感じ、不遇感から発することが多い。ここから正義をとなえやすい。 》 50頁

《 ぎゃくに言うと、深い思想というのは一歩間違えば危険になるような側面をつねにもつということが言えます。 》 36頁