「そうだったのか現代思想」「北の思想」

 好天。真っ白な富士山を背にブックオフ函南店まで自転車で南下。光文社文庫都筑道夫を三冊。『ちみどろ砂絵 くらやみ砂絵』2010年初版、『ときめき砂絵 いなずま砂絵』2011年初版、『さかしま砂絵 うそつき砂絵』2011年初版、計315円。

 注文してあった城左門『架空都市ドノゴトンカ』盛林堂ミステリアス文庫2014年初版1500円が届く。

 小阪修平『そうだったのか現代思想講談社+α文庫の元本は1995年に刊行された。

《 ヨーロッパには、神そして哲学の伝統があって、ある意味では考え方を規制している強い中心があるんですね。そういう中心から脱却して自由を求めようというのが、基本的な彼らの背後にある発想です。現代思想家というのは、広い意味でいうとみんなアナーキストなわけです。 》 340頁

《 相対主義の時代とは、ある意味でもの言いの時代です。日本でポスト・モダンがなぜはやったかというと、「ものは言いよう」という言いかたが日本にはあります。日本にはポスト・モダン的なところがあったんですね。 》480頁

《 ポスト・モダン的な徹底的な恣意化、相対主義の時代を通過して、これからかんがえるということがどういうふうになっていくか。 》 479頁

 昨日の毎日新聞読書蘭、富岡幸一郎『北の思想 ── 一神教と日本人』書籍工房青山への佐藤優の書評。

《 キリスト教と日本人の関係について、徹底的に考えた力作だ。しかも、現代思想主流派のスタイルに影響されず、自らがもっとも表現しやすい少し前の時代の様式で、あえて記述を進めている。この反時代性に強い魅力がある。 》

《 富岡氏は、相対主義の無前提の受容がもたらす実践的帰結について、<いちいち具体例をあげるまでもなく、社会・政治・経済・文化教育とほとんどあらゆる分野で、これまでの歴史が育んできたはずの価値と規範が、氷山が溶けるように崩れはじめている。いや、歴史や伝統そのものが、溶解することで、日本は大衆化社会の水位をひたすら上昇させ、あらゆる貴重なものがそこに水没してしまうという前代未聞の光景を呈している。>と指摘する。 》

《 このような思想の温暖化に対して、富岡氏が北方性の精神を対峙させて、存在論的レベルでの対話を試みる場合、対話の相手となるのは、幽冥界を異にした、内村鑑三新渡戸稲造キルケゴール、ハーマンなどの死者である。 》

《 新渡戸が、優れた外交官として活躍した理由を「縦の関係」という一神教的価値観に求める。 》

《 というのも、今日、平成の日本を覆っているのは、汎神論や多神教を礼賛するというかたちの相対主義の無前提な受容に他ならないからだ。 》

《 本書で、評者がもっとも強い感銘を受けたのは、富岡氏が、キルケゴールが宗教と戦ったという事実を強調していることだ。<人は最後は宗教に救いを求めるというのは嘘であろう。「宗教」はバルトが看破したように、人間の最高にして最悪の欲望の形態である。(引用者:略)キルケゴールの「祈り」は修道士の敬虔な信徒のものとも違う。それは自分の内側に沈潜することではなく、つねに時代と社会の雑多な現実と切り結ぶなかで生じる「厳しさ」の調子に貫かれているのである。啓示は、彼においては静謐な修道院ではなく、喧騒の市井においてであった。>。 》

《 その意味で、富岡氏は、20世紀最大のプロテスタント神学者カール・バルトの後継者でもある。 》

 ロラン・バルトではなく、カール・バルト佐藤優は書いている。

《 1995年4月に日本に戻ってきたとき、大型書店の現代思想コーナー前で、数時間立ち読みしながら、「いったい日本の思想はどうなってしまったのか」と思った。特に、一神教は非寛容であり、多神教は寛容だという、事実に反しているとともに、超越的なもの、絶対的なものを侮蔑するような言説が、思想界を席巻していることに戦慄した。 》

 別の紙面、増田寛也「時代の風 国際紛争の解決手段」から。

《 00年4月、筆者はフィンランド、オーランド諸島の中心都市マリハムンを訪れた。この地の領有権をめぐって20世紀初頭にフィンランドスウェーデンの間で紛争が生じたが、(引用者:略)当時国際連盟事務次長として裁定に努力したのが、新渡戸稲造である。 》

《 裁定は島に平和と豊かさをもたらし、紛争解決のヒントを求めて各国からの視察が絶えないとのことであった。新渡戸は事務次長職を辞する送別会で、事務総長から次のような送別の辞を贈られた。「あなたは不寛容な西洋社会に多くの贈り物をもたらした。……東洋社会の賢明な寛容さとでもいうべきものです」 》

 ネットの見聞。

《 フェイスブックにせよツイッターにせよ、サイバースペースをヤンキー向けにモディファイすることで、日本でも成功したメディアといえそうですね。逆に、ネット時代の初期にはハイレベルなブログ論壇をつくろうとか言っていたのに、そっちはなくなった。要するに日本社会で求められるコミュニケーションは、言語以前の何かだったということだと思います。 》 與那覇
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140330-00033740-toyo-bus_all&p=2

 ネットの拾いもの。第9回オタク川柳大賞から。

《 「いいね!」には 「すごく」「どうでも」 つけるべき (ふう太:60代) 》

《 昭和33年3月31日は赤線最後の日でした。 》

 ネットの拾いもの。

《 バチカン市国バカチン市国に空目 》