「 ハイスクール1968 」

 朝、小雨。天気図を見ると、ここだけちっちゃな雨雲。昼曇天。夕方小雨。

 四方田犬彦『 ハイスクール1968 』新潮文庫2008年初版を読んだ。1968年高校生だった著者の揺れる日常から1972年の一浪東大合格までを 描いた自伝。当時の興味の対象と行動が私とかなり重なっていて驚く。1969年11月初めの文化祭、四方田犬彦は高校生、私は大学生。場所は違っ ても似たようなことをしている。彼らはガリ版刷の書物を売り、私たちは「ダダ・オリジナル・アート・ワークショップ」なる店を教室に開いて、 コーヒーと紙粘土で作ったバッジなどを売った。

《 三十年以上の歳月ののちに読み返してみると、まったく出鱈目に書物から言葉を選んでいるはずだったにもかかわらず、どこかでその当時に 自分が抱いていた、奇妙な焦燥感が実現されていて、興味深い。おそらくそれは、時代の感情でもあったのだろう。 》 184-185頁

《 彼らは彼らなりに孤独であり、わたしはわたしなりに「苦悶の首都」にあって幼げな孤独のなかにいたのである。 》 226

《 一月ぶりの学校は、何も変わっていなかった。ただ自分だけが、すでに引き返すことのできない絶望を抱えこんでしまったという思いだけが、 心に重く感じられた。 》 235頁

《 分水嶺を越えてしまったわたしに課せられたのは、まさしくこの忍耐の業であった。 》 237頁

《 今にしてみれば、自分が抱えこむことになった敗北感と孤独は、けっしてこの二人の同級生などの与り知らぬことだろうと、子供じみた感傷に 耽りながら、残りの一年余りの歳月を過ごしてきたといえなくもない。 》 238頁

《 各人各様であるが、いずれもがその傷から回復するのに、長い試行錯誤を重ねなければならなかった。 》 251頁

《 わたしもまた、敗北の興奮が過ぎ去った後に到来する圧倒的なニヒリズムを克服するために、多くの錯誤を重ねてきたことを、ここに告白して おくべきだろう。 》 252頁

《 彼は「これから生きている間に、いくらでも終わりを見ることはあるさ」と、妙に達観したもののいいかたをした。 》 272頁

《 夜になると応接間にひとり閉じ籠って、再生装置でジャズを聴いていた。アルバート・アイラーからアート・アンサンブル・オヴ・シカゴまで、 わたしはフリー・ジャズの真直中にいた。絶壁から恐ろしい勢いで堕ちてくる水を受け留めるかのように、わたしは彼らの音楽に全身を委ねた。 》  322頁

 以上、わがことのよう……。当時、アルバート・アイラーの「サマー・タイム」を京都のジャズ喫茶で聴いて惚れ込み、その演奏のある『 My Name is Albert Ayler 』の輸入レコードを購入。今、アイラーのそれとアート・アンサンブル・オヴ・シカゴ(AEOC)の愛聴盤レコード『バプティズム BAP-TIZUM 』1972年9月のライヴ盤を聴く。ライナーノートで中野宏昭は書いている。

《 ともあれ、AEOCの歌と真実であるこのアルバム「バプティズム」は、ハード・バップ調のテーマを持つODWALLAによって大団円を迎える。 OHNEDARUTHから引き継がれたカタルシスは、超時間的な感覚の中で、一層、聴く者を陶酔の彼方へと宙づりにしてしまうのだ。 》

 AEOCの来日公演には二度、山下洋輔トリオは、中村誠一の時から何度もライヴハウスなどで聴いている。アート・アンサンブル・オヴ・シカゴ と山下洋輔が、私の東西ジャズの終着点。

《 この夏にもっとも重要な事件があったとすれば、それはルイ=フェルディナン・セリーヌの『夜の果ての旅』を読んだことだろう。 》 323頁

《 中央公論社の、赤いビニール装の表紙の『世界の文学』シリーズにたまたま収録されたこの長編を、わたしは三日ほどかけて一気に読み通した。  》 323頁

 この本は、1964年の初版で持っている。が、未読。読み通すだけの気構えが未だに整わない。彼は感想を記している。

《 まさに人生を二分するほどの衝撃をわたしに与えた。 》 323頁

 そして石井辰彦。1971年秋。

《 この年の10月か11月に、わたしは石井辰彦に出会っている。 》 326頁

 もう引用が面倒になった。本棚には彼が新人賞を獲った『現代短歌体系 11』三一書房1973年初版と、中井英夫が推薦文を帯に書いている歌集 『七竈』深夜叢書社1982年初版がある。

 ネットの見聞。

《 何度か引用しているエドマンド・ウィルソンのエッセー「ディケンズ――二人のスクルージ」は、「すべての偉大なイギリスの文筆家の中で、 自国の伝記作家、研究者、批評家に最も軽視されてきたのがチャールズ・ディケンズである」という一文から始まっていてびっくりする。 》  藤原編集室

《 そんな莫迦な、といまなら思うが、このエッセーが発表された1940年には、ディケンズは前世紀の遺物、ヴィクトリアンの感傷癖を多分に含み、 無教養で深みに欠けた、大衆的人気はあるけれど真面目に研究・批評するに足る存在ではない、とみられていた。 》 藤原編集室

《 ウィルソンはしかし、このエッセーで『荒涼館』『リトル・ドリット』『大いなる遺産』など、ペシミスティックな社会批判を強めた後期の 「暗いディケンズ」を高く評価し、心理描写、人物造形の深化を称揚した。 》 藤原編集室

 ネットの見聞。

《 インタビュー:原発は国家ぐるみの粉飾決算=吉原・城南信金理事長 》

《 「1回事故が発生したら、天文学的なコストがかかる。貸し倒れ引当金の積み立ての考え方を入れれば、とんでもない引き当てを積まなければ ならない。これは、不採算というのではないか。国家ぐるみの壮大な粉飾決算だ」 》
 http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA3H06620140418?sp=true

 ネットの拾いもの。

《 パリの地下鉄に乗ったらスマホいじってる人がほとんどいなくてみんな本を読んでて「さすが成熟した大人の国はちがうね」とフランス人 エンジニアに言ったら「電波が入りにくいんだよね」と言われた。 》

《 今、原宿のポップコーン並んでますけど後ろのカップル彼氏『並ぶ価値あるの?』彼女『ある』彼氏『今日じゃなくても良くね?』喧嘩始まる 彼女泣き出す。彼氏『一緒にいても楽しくないね』彼女『そうだね』彼女『別れる?』彼氏『いいよ』こうして私の後で2人が破局を迎えました。 ポップコーン恐るべし。 》