「 ハイスクール1968 」つづき

 昨日のアート・アンサンブル・オヴ・シカゴ関連で、抽斗の底から直径7.5センチの彼らのバッジを取り出す。「 FULL FORCE 」とあるから1984年 の横浜公演で購入したのだろう。同名のアルバムが1980年に出ている。公演は前回に較べて満足のいくものだった。バッジ下面には「 GREAT BLACK MUSIC 」。 彼らは自らの音楽をJAZZとは呼ばない。そして" ANCIENT TO THE FUTURE "の文字。どう訳せばいいのだろう。温故知新が近いか。

 昼前、自転車のパンク修理が済んだろうと、徒歩で近くのホームセンターの自転車屋へ。パンクした水曜日はシャツ一枚で汗ばみ、きょうはコート を着込む。後ろを四人の女子中学生が歩いている。屈託のない他愛ない話。自転車を受け取り、友だちから今朝頼まれた、サンドパーチカバーなる インコの爪の伸び過ぎ防止の止まり木カバーを購入。

《 自分だけを頼りとしてくれる者の存在は、毎日の生活にささやかな張りをもたらしてくれるものだ。 》 大野左記子
 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20140419/p1

 友だちのインコを見ると、そのことがよくわかる。飼い主だけが頼りで、こっちにはおべっかのひとつもない。

 ブックオフ長泉店へ寄る。ウラジミール・ソローキン『愛』国書刊行会1999年初版帯付。あと一冊がなくて、ダブリだけれど鮎川哲也・編 『鯉沼家の悲劇』光文社文庫1998年初版105円を加えて、計213円。

 四方田犬彦『 ハイスクール1968 』新潮文庫2008年初版から芸術関連の記述。

《 ある曲なりフィルムを、それが発売されたり封切りになった時点で知り、価値評価も未定なままにそれが大気中に撒き散らしている神話の香りを 胸いっぱいに呼吸することと、すでに神話が確立されてからそこに参入することとでは、同じテクストを前にしても体験は大きく異なっているはず である。 》 60頁

《 60年代の末には、難解であることが、芸術作品の価値を定めるさいに、もっとも重要な判断基準であるといった風潮が蔓延していた。(引用者 :略)80年代以降の芸術が、もっぱら面白いか、面白くないかという基準のもとに判断されるようになったのと比較してみると、これは興味深い 現象であったといえる。 》 37-38頁

《 2000年を過ぎてしまうと、この当時に難解だと信じられてきたものの多くが、実はいささかも難解ではない、むしろ前後の知的流行のなかで 至極正統的に出現してきた試みであったことが、少しずつ理解されてくる。 》 260頁

《 先にも簡単に触れたことであるが、現代ではある小説なり詩なりフィルムを肯定的に論じるさいに、「難解」という形容が用いられることは、 まずありえないだろう。 》 261頁

《 わざわざ難解というオーラを求める者はいない。誰もが求めているのは軽快にして手頃な面白さをもったオブジェであって、ひとたびその輝きに 翳りが見えてしまうと、それは別のオブジェによって取って替わられてしまう。 》 261頁

 ネットの拾いもの。

《 ちょうど100年前の20日、夏目漱石の代表作「こころ」の連載が朝日新聞紙上で始まった。 》