「辻まことセレクション2 芸術と人」

 伊豆高原アートフェスティバルに参加する「牧村慶子展」のお手伝いで朝から出かける。夕方帰宅。

 昨日の辻まこと『虫類図譜(全)』ちくま文庫池内紀の解説。

《 ほぼ同じころ、辻まことは「現代絵画の風刺としての現代絵画」と題するエッセイを書いた。そのなかで「カートゥーン」 とよばれる絵のジャンルについて語っている。笑いを武器とする小世界があって、辞書には「漫画」とあるが、わが国でいう 漫画の概念からはおよそ遠い。本当の意味でカートゥーンこそ現代の抽象絵画ではあるまいか。 》

 本棚から『辻まことセレクション2 芸術と人』平凡社1999年初版を抜き出す。「カルトゥーニストの仕事」(『図書新聞』 1964年四回掲載)を読む。

《 一九五一年の『アトリエ』誌九月号にサウル・スタインベルグを紹介して以来、ボクはアメリカのカルトゥーニストを 何人か紹介した。 》

《 これらエスプリの鬼才たちを日本の漫画家という概念でよんでいいかどうかはなはだ疑問におもっている。印刷文明がコミュ ニケーションとして大きな比重をもっている今世紀、視覚芸術家が創作的分野を、新しい形で表現するのは当然であって、印刷され 得る表現能力と印刷機能と個性とが複雑多彩にミックスされ、それを極限まで利用しようとするのは生々した精神をもつ芸術家に とって当然魅力ある仕事となる。本は読むと同時に見るものとなり、理解すると同時に感じるものとなり、感じると同時に想像し 得るものとなる。 》

 インターネットはどういわれるのだろうか。

〈 モニター画面は読むと同時に見るものとなり、理解すると同時に感じるものとなり、感じると同時に想像し得るものとなる。 〉

 あるいは。

〈 モニター画面は見ると同時に読むものとなり、感じると同時に理解するものとなり、理解すると同時に想像し得るものとなる。 〉

 書いた私にはよくワカラン。たぶん、問いの立て方が間違っている。

《 現代文明の特徴の一つはスピードであろう。速度は要するに運動であって、物と同時に人間もまた動かざるを得ない。現代人が 聡明とよぶものは深い思索ではなく早い思考の転換から生ずる智慧である。生活も思想も固定することを恐怖する。じっとしていると 何かから取残される気持になる。内面的に速度を持たない人々は感覚的にこれを追求する。 》

 「現代阿呆リズム」から。

《 理解しようとする意欲は、現代ではバカバカしい、こっけいな欲望である。理解し得ないことが、今日ほど明白にされた時代は ないからである。 》

《 読書は、やがて世界を読むために必要な手掛りとして最初に取りかかる仕事であったのは昨日のことだ。読書人は遊星よりも 隔離した虚空にただよう淋しいミイラである。 》

 「男よ君は弱かった」より。

《 「男は不意の雨に借りられた傘の如きものである」 》

《 「男の未練など女にとって紙屑の如きものである」 》

《 「男の思い出など女にとって単なるアクセサリーに過ぎないものだ」 》

 「ノートから」より。

《 モダンアートは一つの必要な無駄を表現している。われわれの時代は人生からすべての無駄を追放することに一生けんめいだ。 しかしはじめから人生には無駄などはありはしないのだ。そしてムダとおもったものから復しゅうされる。そして屈服して、こんどは 無駄の神様を神殿にまつるのだ。 》

 ネットのうなずき。

《 政治家が改憲するというのは、罪人が刑法を改正するに等しい。憲法は政治家、役人を縛るためにある。 》 藤岡真

 ネットの見聞。

《 「生まれて初めて全条文を読みました。声に出すと、目で追うのとは全然違う。文字と声が共鳴して体に入ってくる。憲法って 国民を縛るイメージだったんですが、私たちを守ってくれる身近なものだったんですね」 》 小林麻耶
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140502-00000041-asahi-soci

 ネットの拾いもの。昨日は八十八夜。

《  夏はこれからだ!(福耳)〜夏が来る(大黒摩季) 〜 夏が来た!(渡辺美里)〜おっととっと夏だぜ(EE JUMP)〜夏をあきらめて (研ナオコ) 》