《 かさぶたのしたの痛さや、血や、膿でぶよぶよしている街の舗石は、石炭殻や赤さびにまみれ、糞便やなま痰でよごれた うえを、落日で焼かれ、なが雨で叩かれ、生きていることの酷さとつらさを、いやがうえに、人の身に沁み、こころにこたえ させる。 》
《 たしかに苦力(クーリー)たちは、欲望の世界で、欲望を抑圧された危険なかたまりで、その発火を、自然発火にしろ、 放火にしろ、おそるるあまり、周囲の人たちは、彼らがじぶんたちと同等の人間であることを意識して不逞な観念を抱くような ことのないように、人間以下のものであるらしく、ぞんざいに、冷酷に、非道にあつかって、そうあってふしぎはないものと 本人が進んでおもいこむようにしむけた。そういう変質的であくどいことについては、中国人は天才であった。 》
以上「上海灘」(「どくろ杯」収録)より。
《 スンガイ・ライヤのジョホール護謨園の日本人クラブに私は、心易いままに一週間ほど、長滞在をしていた。寂寞があまり ふかいので、夜夜は、自分自身の耳鳴りの物騒がしさにも似て、夜の深さを占めている遠近の、耳にとどかぬざわめきのために 私は、ねむりつけぬことが多かった。その様な時には、ひとりこっそり起き出で部屋をぬけ出し、支那下駄をつっかけ、ゴム園 のなかや、その近所をほうつき歩くのであった。懐中電燈の光を投げては、投げては、先に進んだ。それなしには一歩も、先へ 足を踏み出すことは出来ないのであった。光の届く限界に、枝と枝とがひっ絡み、青々とした葉と葉がひしめきあう森林の 一部分があった。森全体の厚みが、いきたものの寸分のすきまもない重なりあいで、はてのはてから充填されてきている ただなかへ、一足ずつ割り込んでゆく私自身に、本能的な、血みどろな快楽をさえおぼえるのであった。
昼の世界では、到底思いも設けなかったような、性根をさらけ、歯をむき出した繁みどもの、厚顔な面、いやらしい表情。 》
以上「センブロン河」(「マレー蘭印紀行」収録)より
じつに濃密な、そして尋常ならざる深みをとどめた詩的な描写が、紀行文全体に満ちている。それは、最底辺の人々の位置 まで身体と視線を落として、人間も自然も同じ高さの目線から凝視している、からだろう。
《 「美しいものは穢い。穢いものは美しい」という領域で、ことばの鮮烈さは、思考の鮮烈さということでもある。 》 茨木のり子「解説」
本棚から『金子光晴全集 第七巻』中央公論社1975年初版を持ってくる。「自伝 II 」として、『どくろ杯』『ねむれ巴里』 『西ひがし』を収録。小さい活字の454頁を超える量と重さなのにソフトカバー。なので敬遠していたが、今机上に置いても やっぱり読みにくい。文庫サイズの『ちくま日本文学全集009 金子光晴』は活字は大きめで読み易かった。
朝、源兵衛川上流部でヒメツルソバの駆除。石垣の間の深い根をペンチで引く抜く。ぐいっ。ふう。大袋八分目。