「花とあきビン」

 金子光晴詩集『花とあきビン』青娥書房1973年初版を読んだ。詩を論じる前に嬉しい発見と出合いがあった。「戦争で生き のこった一本のビン」。

《  この時代に生れあわせた犠牲者たち、浦島子も、僕も、  》

 浦島子、浅学にして知らなかった。宇野亜喜良・絵/寺田澄史・俳句『新・浦嶼子伝』トムズボックス2002年をこの十年余、 何気なく絵を愉しんでいたけど、はっと気づいてネット検索。「浦島子の伝承」を知る。浦嶼子、浦島太郎の女版だと思って いた。ああ、恥ずかしい。恥を書いてしまった。
 http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/urashimako.html

《  欠けた板ガラスは、割れた茶碗の糸底といっしょに、
   大地の下積みとなって、不消化のまま、半世紀十世紀経ってから
  想起されることとなる。                                 》

 源兵衛川の川底みたいだ。この前、平安時代の焼き物のカケラが出土したとか。

《  益々、あきビンは、ふえる一方で、街道の松原のあいだに、一定
  の距離で並んでいたり、
   陸地の涯、荒海に突出した断崖に、ひょっこり立っていたりする。  》

 この光景を白黒写真にしたらいい写真ができそう。だれかやっていそう。原久路のモノクロ写真を想起。彼のバルテュスに 拠った写真にはぐっとくる。
 http://www.hisajihara.com/muscat1/categories/22931/?page=8

 『ちくま日本文学全集009 金子光晴筑摩書房1991年の解説で茨木のり子は書いている。

《 完成度の低い作品もあるし、詩集としても不発なものが幾つかある。 》

 この詩集はそのなかに入りそうだ。

 ブックオフ長泉店で三冊。町田康『告白』中央公論社2005年初版帯付、ヨコタ村上孝之『マンガは欲望する』筑摩書房 2006年初版帯付、木田元ハイデガー拾い読み』新潮文庫2012年初版帯付、計一割引291円。

 数日前、そばの100円ショップMEETS.で一目惚れした杯というか小体な軽い湯飲み茶碗、上が少し開いた呉須縦縞の碗を デザイナーの友だちに見せたら「あら、いいわね」。にんまりすると「100円にしてはいい」と。侮れぬ100円ショップ。

 友だちが車内でかけているジャズの次にボサノヴァを所望される。こう暑くなると涼しげな音楽がいい。Joao Gilberto 『ジョアン・ジルベルトの伝説』東芝EMI1993年を試聴。38曲75分。車で流すにはいいかもしれない。
 途中で切り上げ、マリア・クレウーザ Maria Creuza を。私はこのほうが好みだけれど。どうかな。
 やっぱりサンバが好き。大人しいギリェルミ・ジ・ブリート Guilherme de Brito 『枯れ葉のサンバ』テイクオフ1990年 を聴く。いいなあ。

 ネットの見聞。

《 「限界集落」に定住しようという意欲ある若者たちを支援することが行政の最優先課題だと思いますけれど、政権には そんな計画は何もありません。首都機能の分散についてさえ無関心。 》 内田樹

《 首都一極集中と地方の疲弊は「問題」ではなく「答え」です。僕たちの国が過去30年間かけて営々とめざしてきた 「日本のシンガポール化」計画のある意味での完成形です。自分たちが求めてこれを選んだのだという「病識」がなければ、 おおもとの「問題」にまで立ち戻ることはできません。 》 内田樹