味戸ケイコ新作展

 一昨日から東京・北青山のギャラリー・マヤで催されている味戸ケイコ展へ行く。味戸さん、原点へ回帰だ。1970年代の 作風が甦った。それも新たな魅力をともなって。キッチリカッチリ描いていた当時と違って、抜くところを抜いているので、 風通しがよく感じられる。手抜きではなく抜きですね、と味戸さんに述べると味戸さんもうなずく。絵葉書に使われなかった 絵にドキンとする絵があった。宇野亜喜良もそれがいいと言っていたと、女性オーナー。やはりね。十分堪能して帰宅。
 http://www.gallery-h-maya.com/schedule/12029/

 その前に上野の国立西洋美術館へ。ジャック・カロの銅版画と「平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」と常設展で六百円。 カロの絵の小ささに驚く。本で知っていた絵が葉書大。デューラーの銅版画「メランコリア I 」、ジョルジュ・ド・ラ・ トゥールの油彩画、ユベール・ロベールの油彩画など名作に心を奪われる。印象派以降の絵に浅薄さを感じてしまう。 時間を喰ってしまい、昼食抜きで味戸展へ。二十年ぶりの画廊。地下鉄外苑前駅を出て戸惑う。こっちが青山通りだよな、 と再確認しつつ記憶を辿る。道路は変わらないが、町並みはオシャレに一変。行き交う若い女性たちがなんとも素敵。

 行きは各駅停車、帰りは新幹線。列車のお供に昨日買った有栖川有栖『壁抜け男の謎』角川文庫。短編・掌編十五編。 半分ほど読んだ。

 ネットのうなずき。

《 どんなに気に入らない言論であろうと、一度、圧力や暴力で潰したという実績を作ってしまうと<言論は潰せるもの> という既成事実を作る事になるんですよ。そうなってしまうと、やがては潰せ、潰せと叫ぶほうの立場だった人にも、その 被害が襲いかかってくるようになるんです。それが歴史の教訓ですよ。 》 松井計

 ネットの見聞。

《 いい家はお金では買えない。ぴかぴかの新品でもない。誰かに頼んで手に入るものでもない。自分でつくるものだ。 これまでは誰もその作り方を教えてくれなかったけれども。どういう生活空間をしつらえられるかは、ひとつの教養であり 美学でありアイデンティの核であり、誇りのよりどころにもなる。 》 原研哉

 昨日も記したが、一時貶められていた「教養」が復活してきた。「どういう生活空間をしつらえらるか」好きな絵画を生活 空間にどう生かすか。居住者不在のインテリア空間の先、居住空間のしつらえで、教養と美意識が問われる。わが部屋を 省みれば……本の塔、本の連山、ときどき山体崩壊。乱雑と混乱、混沌だあ。混沌から生まれる、何か。ため息だけかも。

 ネットの拾いもの。

《 神だから悪魔に勝ったんじゃない。勝った方を神と呼んだんだ。 》