「ふしぎなキリスト教」

 昨日北一明の死去を掲載したが、本名下平昭一の名前は、田村隆一『詩人の旅』中公文庫1991年初版に出てくる。

《 飯田市のはずれ、天竜川のほとりの上川路の開善寺に、わたしがやってきたのは八月の十八日、まだ夏の盛りの うちだった。白隠と鉄斎の書画に富み、高邁な住職の住む、この閑静な禅寺が、いっぺんにわたしは気に入った。/  八月二十三日の夜は、時又の灯籠流しで、わたしも飯田市の下平君(宗左近の大学の教え子)にさそわれて見にでかけた。 下平君の友人の、下駄屋さんの二階から夜空にきらめいては消える花火と、天竜川のゆるやかな水の上を音もなく流れる、 新しい精霊のまたたく明りをながめながら、わたしはお酒をご馳走になっていた。そのあと、元満州開拓団の団長、I さんのお宅で、下平君と、そのグループの青年たちと、またお酒をご馳走になった(このグループは『段丘』といって、 農村の近代化をはかるまじめな人たちの集まりである。(以下略) 》 「伊那」83頁

 開善寺の住職は代替わりしたのだろう、昨日のウェブサイトによると北一明のことをご存知ない。

 昨日午後依頼された某展覧会の挨拶文を昨夜仕上げ、メール送信。今朝返事が届く。「良い感じ」。コーヒーを淹れる。

 ブックオフ長泉店で三冊。ミシェル・オンフレイ『哲学者の食卓』新評論1998年初版帯付、U.ベーム編『哲学の原点』 未知谷1999年初版帯付、M.J.アドラー/C.V.ドーレン『本を読む本』講談社学術文庫2009年37刷、計324円。

 橋爪大三郎・大沢真幸『ふしぎなキリスト教講談社現代新書2012年12刷を読んだ。ふしぎなキリスト教、的を射ている。 対話から起こした文章なので平易で解りやすいが、はあそうですか解りましたといっても納得できん。まさしくふしぎな キリスト教だ。橋爪大三郎の発言から。

《 イエス・キリストが生まれ、十字架で犠牲になったことが、神からのメッセージだと思えるなら、キリスト教徒です。 》  206頁

《 福音とは、これを聞いている人は救われるという意味です。 》 208頁

《 一神教の特徴は、「人間のもの」と「神のもの」とを厳格に区別する。そして、「人間のもの」に権威を認めないことです。  》 248頁

《 社会が近代化できるかどうかの大きなカギは、自由に新しい法律をつくれるか、です。キリスト教社会はこれができた。 》  276頁

《 世界は神が作ったのだけれども、そのあとはただのモノです。ただのモノである世界の中心で、人間が理性をもっている。 この認識から自然科学が始まる。 》 312頁

《 理性を通じて、神と対話するやり方のひとつが、自然科学です。 》 314頁

《 絵画について言うと、偶像崇拝を禁止しているキリスト教に宗教画があるのはおかしいことなのです。 》 321頁

《 マルクス主義は、唯物論を標榜し、キリスト教と関係ないことになっていますが、私から見ると、神がいないだけで、 ほとんどキリスト教と同じ。教会の代わりに共産党がある。 》 326-327頁

《 日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。 》 330頁

 ネットのうなずき。

《 云うまでもなく、風評被害とは根拠のない噂のために受ける被害であって、福島で農業や漁業に携わる人々が受けて いるのは「風評による被害」ではなく、「放射能による被害」である。政府はなにもかもを風評被害として片付けようとし、 国民もそれに倣っているが、「風評による被害」と「放射能による被害」は本来厳密に峻別しなければならない。 》

 ネットの見聞。

 富士スピ−ドウェイのイメージガールたちの名前から。

《 あいみ、千咲姫、渚、真彩、礼香、沙奈、悠凪、芽衣、優、有里、蘭、愛里、桃、美咲、つかさ、萌美、紗久羅、梨乃, 愛、なお、真琴、美香、望愛、聖奈、千尋、遥、順子 》

 「順子」がすごくしとやかに見える。

 ネットの拾いもの。

《 核兵器持ってる相手を挑発してどうすんの? 》