「捉まるまで」

 昨日、東京西荻窪盛林堂書房から加瀬義雄『失われたミステリ史』1500円が届いた。これは貴重。

 朝、一仕事終えてコーヒーを飲んでいるとピンポーン。ドアから顔をのぞかせると、中年のネクタイをした 男性と中年のご婦人。持っていたパンフレットには「ストレスをなくすには」といった題名。「うちはストレス ないから」「それはよかったですね」はいさようなら。先だって知人女性との会話で、伊豆市には宗教団体の 施設がたくさんあることが話題になった。修善寺駅の近くにはいくつもの宗教施設が眼に入る。屋根に十字架 などが立っている。伊豆市中伊豆方面には新宗教の神殿?拝殿?本部道場?がいくつもある。トンデモ建造物。 全部を見てみたいが、桑原桑原。

 昨日の池澤夏樹「日本文学全集」に選出されている大岡昇平『捉まるまで』(昭和二十三年)を『日本短篇 文学全集47』筑摩書房1969年初版で読んだ。冒頭。

《 私は昭和二十年一月二十五日ミンドロ島南方山中において米軍の俘虜となった。 》

 米軍に捉まるまでの一月ほどに起こった戦闘と自らの病気(マラリア)と渇きを冷静に克明に描いている。

《 戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約ないし鼓舞される。 》

《 この時脱出に成功した兵はおよそ五十人であるが、大部分山の中で落伍もしくは病死し、収容所に来た者は 四人である。 》

 日本軍の夥しい死者。昨日の石川淳『紫苑物語』は中世の辺鄙な地域での守(かみ)の弓矢による夥しい死者が 描かれていた。『紫苑物語』での結構としての漲る強靭な精神の運動に対して、大岡昇平『捉まるまで』には冷静 冷徹な精神の深い凝視がある。双方に共通するのは、精神の弾性だ。精神が硬直していない。自己を突き放して 運動している。

 半世紀ほど前だろうか、大岡昇平から父宛てに封書が届いた。フィリピンでの従軍のことを問うたものだった。 父は中国大陸で戦傷兵となり、フィリピンへ転戦する同僚と別れて帰国。そのことを母が返事に認めた。そんな 古い記憶が甦った。

 ブックオフ長泉店へ。多田富雄『免疫の意味論』青土社1994年20刷、森岡正博『生命学に何ができるか』 勁草書房2002年3刷帯付、初田亨ほか『近代和風を探る(上・下)』エクスナレッジ2001年初版、計432円。

 初田亨ほか『近代和風を探る・上』、序文(初田亨)から。

《 幕末から明治にかけて、一つの完結していた伝統的な建築世界の中に、従来の建築と異質な新しい建築が 入ってきた時、それまですべてと考えられていた建築が相対化され位置づけされはじめる。西洋の「洋風建築」に 対して、それとは異なった存在として「和風建築」が意識化されはじめたといえよう。 》

《 近代和風建築をつくる時の、伝統への関わり方をみると、伝統を強く自覚することなくつくられた建築、 伝統を自覚したうえでそれを継承していこうとする建築、伝統を自覚すると同時に、新しい時代にふさわしい 様式を積極的につくっていくことを試みた建築の三つに分けて考えることができる。 》

 明治の「日本画」と同じことが建築にも起きていた。以上の三分類に準拠して、日本画家たちはどのように 分かれるのだろう。河鍋暁斎岡倉天心の門下生は「伝統を自覚すると同時に、新しい時代にふさわしい様式を 積極的につくっていくことを試みた」かな。木版画の小原古邨、川瀬巴水らは「伝統を自覚したうえでそれを 継承していこうとする」かな。高橋松亭らは「伝統を強く自覚することなく」に入るかな。これはまだ思いつき。 じっくりと検証することが求められる。

 ネットのうなずき。

《 現場作業員の自己犠牲によってしか安全が確保できない施設というのは、存在の根底から間違っている。 》

 ネットの見聞。

《 東大など、不確定性原理に基づかない盗み見が困難な新量子暗号方式を考案 》
 http://news.mynavi.jp/news/2014/05/22/041/

《 式場隆三郎がなんで精神病院にバラ園(中井英夫の「流薔園」のモデル)作ったのか謎だったのだけど、 視察したスイスはレマン湖畔の病院のバラ園を見て感銘を受けたからと知る。フィッツジェラルドの妻ゼルダ とかジェイムズ・ジョイスの娘とかも入院してた超高級セレブ向けプライベートクリニック 》 風野春樹 (『島田清次郎』発売中)