先週の本棚

 きょうの毎日新聞には読書蘭「今週の本棚」がある。先週の「今週の本棚」を、今頃じっくり読んで いる。一週遅れの読書。興味を惹かれる本が並んでいる。モイセズ・ベラスケス=マノフ『寄生虫なき 病』文藝春秋への養老孟司の評から。

《 近代的な、衛生的な環境に住むことで、それが不在になると妙な病気が起こる。それがこの本の 主題である。 》

《 著者は人体を超個体と呼ぶ。そこには細菌や寄生虫を含めて、多数の生きものが共存してきた。 そうした「生態系」が現在壊れつつあり、あるいは壊れてしまっている。ヒトという生物多様性を どう回復していくか、それが著者の最終的な結論となると考えていい。 》

《 一言にして尽くされる真理、そういうものを信じてはいけない世界になっていると私は思う。 》

 うなずくことばかりだ。私には過剰清潔への不信感がある。隣には山折哲雄『能を考える』中公叢書 への持田叙子(のぶこ)の評。

《 神像は大むね、老人の姿をとる。対して仏像は若々しい青年をかたどる。ここに、大陸伝来の仏教 と土着の日本の神々との差異が、鮮明にえぐり出される。著者いわく、「ホトケは若く、カミは老いた り」。 》

《 <癒される>というフレーズが流行した時、「癒しは卑し」とした著者の明言は忘れがたい。他人 に心の安定や感動をもらおうとする精神は卑しい、という意味だろう。 》

 猪木武徳編『<働く>は、これから』岩波書店、藻谷浩介『しなやかな日本列島のつくりかた』新潮社 への中村達也の評から。

《 それぞれの現場に身を置き、深く掘り下げた思考と全体を俯瞰する眼力に裏打ちされた智恵を「現智」 、それを備えた人を「現智の人」と藻谷が呼んでいる。 》

 私の敬服する人は「現智の人」だ。
 一週遅れの読書ついでに、一周遅れの中村雄二郎『述語集 II 』岩波新書1997年2刷を昨日に続いて再読。 「悪」「イスラム」「脳死」「ポストモダン」「免疫系」などなど、今もって切実な課題がびっしり並んで いる。「弱さの思想」は、昨日の松岡正剛『フラジャイル 弱さからの出発』に重なる。さらにティム・ インゴルド『ラインズ 線の文化史』に通じる。これらの発想と視点を糸のようによりあげた著作が出現 する予感。松岡正剛のいう編集だな。それは上記「現智の人」の相貌を帯びる気がする。

 『述語集 II 』、以前気に留めなかったことがらが気になる。「ヴァーチャル・リアリティ」。

《 かつて科学哲学者のK・ポパーは、『果てしなき探求』のなかで、あるがままの客観的な対象界を〈 ワールド1〉、自己の内面的な精神界を〈ワールド2〉と呼び、それらに対して、人間の広義の精神活動 が外化され客観化された文化の世界を〈ワールド3〉と名づけた。 》

《 社会常識を含めて、人間の文化的所産は、ただ受動的に受け入れるべきではなく、たえず点検して問い なおしつつ、付き合い方を訓練するべきだからである。日本社会が〈経済的繁栄〉にかまけて怠ってきた のは、そのような点検・問いなおしと対し方の訓練ではなかったか。 》

 ネットの見聞。

《 いやしくも一国のリーダーたる者が莫迦の筈がない。しかるに「あの人は莫迦だ」という論評が 随所で見られることに心を痛めていた。が「最終破壊兵器がないのを証明しなかったイラクが悪い」 というご当人の発言でそれが軽減された。「自分が莫迦ではないということを証明できなかった自分が 悪い」のだと 》 山田正紀