「砂男」

 E・T・A・ホフマン『砂男』河出文庫1995年初版を読んだ。精神病者の物語か、と ひとくくりして片付けたくなる。併録されたS・フロイト「無気味なもの」を読むと そう簡単に片付けられない気分になる。

《 そこで結論は次のようになった。すなわち、実地体験の無気味さが立ち現れるの は、抑圧された小児期のコンプレックスがある印象によってふたたび生命を吹き込ま れる場合である。 》

 訳者種村季弘は解説に書いている。

《 だが、フロイト流の父親像のみが救済の契機として有効かどうかという問題は、 依然として懸案にとどまるだろう。もしかするとそれはヨーロッパ思想の限界なのか もしれない。 》

《 一方私たちはむしろ女性の救済力になじんでいる。 》

 そして泉鏡花の小説を例に挙げる。
 ここで私がそれとはまったく無縁に江戸川乱歩を出すのはいいのかどうかわからな いが、乱歩の小説にはひどくまともな精神が感じられて、奇妙な人間が出てきても、 人の背後の無気味といった後味の悪さは殆どない。色川武大狂人日記』は怖かった。 妄想がなんとも不気味で読書は中断したまま。まあ、軟弱、小心者だから。

 ネットの見聞。

《 でも、ふつう人はイデオロギーは「妄想」で、金は「現実」だと思っている。 イデオロギーに染まっている人も心のどこかで「他のイデオロギーに染まる可能性も あった」ことを自覚しています。でも、「金の現実性」を信じている人はそれ以外の 「現実可能性」を信じない。それだけ狂気が深い。 》 内田樹

《 すべての人が環境や食の問題に関心があるわけではないし、別のことを優先的、 重点的に考えたい人だってたくさんいるわけです。「人間らしさ」から逆に遠ざかり たいという欲求だってあり得ます。それも個人の自由として認めるべきだし、人を傷 つけない限り許容するべきだというのがこの社会です。その中で、人が「◯◯らしく」 との距離感を適宜取り、ある程度の中途半端さや適当さをもって生きられるのが幸せな ことだと、私は思っています。 》 大野左紀子
 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20140609/p11

 ネットの拾いもの。

《 おはようございます。ティッシュ一枚の高曇り。 》

《 今日こそは一滴も飲まんぞ! 》