「水晶萬年筆」

 吉田篤弘『水晶萬年筆』中公文庫2010年初版を読んだ。昨日ふれた虫明 亜呂無『シャガールの馬』の一文がきっかけ。

《 駅前の広場のはずれのホテルの一室は、終日、水の音がしていた。 》

 六篇から成る短編集の最初の一篇「雨を聴いた家」、冒頭一行。

《 水が笑う、とあの本にあった。 》

 雨音を耳にしながら本を読んだ。水晶萬年筆はガラスペンのこと。見目麗 しく使い勝手もいいようだ。粗忽者の私は使えない。「水晶萬年筆」から。

《 ──脆いもんで、机から転げ落ちたら一巻の終わりだ。大事に使え。 》

《  ──いっそのこと、壁を見ながら暮らしてみようか。
   そう思いついたのは、建物や電柱の影が壁に妙な絵模様を描くのに興 を覚えたからで、それはそれ自体、陽の傾きによって刻一刻と移り変わる一 枚の絵だった。 》

 超芸術トマソンだ。

《 聖路加病院の塀が何となくレトロっぽいので写真に撮ったら、仲間が この写真に芸術を発見した。塀に映った木の影が、その先で本物の木になっ ている。マグリットもびっくり。東京・明石。 86・3 》 赤瀬川原平 『正体不明』東京書籍1993年初版、78-79頁「影の接ぎ木」。

《 ── 陽は「さんさん」と言うけれど、影は何と言うのだろう。 》

 四十年あまり前に観た状況劇場の歌が聞こえる。

《 かえるが鳴くから帰るなら、帰る家のない子にかえるは何て鳴くんだろ ? 》 唐十郎『河原者の唄』思潮社1970年収録「さすらいの唄」

《 眺めるうち、その絵に影が一つとしてないことに気が付いた。それで いて、ただつるりとしてるわけでもない。 》

 昨日の馬の絵だ。地に映る馬の影は描かれていない。だからこそ馬が一層 奔放なリアリティを帯びるという逆説。影の有り無しは、美術での重要な鍵 の一つ。東西比較文化論ができる。私はやらんが。

《 「言葉さえあれば、そいつに物事が従うのだ」 》 「ティファニーまで」

 直感で言葉を紡ぐことがままある。降って湧いた言葉、なぜその言葉が 浮かんだのか、よーく考えてやっと納得。直感的人間だとつくづく思う。

 ネットのうなずき。

《 オリンピックもワールドカップアベノミクス集団的自衛権も戦争も、 最後は金目あてだよね。 》

 ネットの拾いもの。

《 新人がすぐ辞めないよう社会人としての心構えを教えろと言われたので
  「現場が嫌なら退職の前に異動願いを出して」
  「空気読まずに有給を取れ」
  「飲み会は上司の介護だと思って」
  「賞与まで辞めるな」
  「辞めたら来年の住民税で死ぬから計画的に」
  などを教えました。怒られました。  》