「 インテリアと日本人 」

 夜明けまで外は酔っ払いで賑やかだった。朝、クマゼミの声を聞く。 源兵衛川の月例清掃へ。魚影が濃い。午後は高校生と付き添いの源兵衛川 の生き物探しのお手伝い。どちらもぎりぎり雨に降られず。

 内田繁『インテリアと日本人』晶文社2000年初版、前半を読んだ。お盆 の行事も重なり、読了に至らず。実は後半もかなり読み進めたのだけれど、 これは手強い。とりあえず前半から。

《 多くの科学発明は、人びとの生活を見据えて生み出されたものでは ない。科学技術のなりゆきのままに生れてきたものである。そして生活 文化は、それらを後追いするようにすり合わせてきた。その点を考えた ときに、まず私たちの目指す文化を考え、そこに科学技術を当てはめる というビジョンが生れる。 》19頁

《 二十一世紀は解釈学の時代だという。歴史上の出来事、地域文化が もつ知恵をどのように解釈し、どのように利用するかは、解釈の態度に かかわっている。 》 44頁

《 中世社会においても、絵を描くことが特殊な才能であったように、 今日においても、モノに形を与えるということは、ひとつの能力だと いえる。しかし、それはむやみに形だけを考えることではない。モノの 背後にある真のモノの性質をとらえたうえで、モノに生命を与えるので ある。 》 49頁

《 私たちがいま問題にしなければならないのは、ウツワの物理的機能 ではなく、ウツワを取り巻く状況である。それは〈人とウツワのかかわり〉 〈ウツワと空間の在り方〉、そして〈ウツワが使われる状況〉について である。 》 56頁

《 デザインが考えなくてはならない問題は、そうした人の〈心の問題〉 であった。「インテリアデザインとは何か」を考えるとき、人はどれほど 精神的世界に生きているかを考えてみることである。 》 57頁

《 日常世界と精神世界を分離しない態度。この問題こそが中国文化と 日本文化の決定的な違いを生むのである。日本の建築、室内が、つねに 精神文化にかかわるのは、そうした坐るという行為に精神性を見出した からに他ならない。 》 71頁

 明日へつづく。

 ネットの見聞。

《 ジャズ評論家の副島輝人氏が7月12日、胃がんのため83歳で 亡くなりました。 》
 http://chitei-records.jp/blog/article/post-3801.html

《 とりあえずは好きな作家から。福永武彦の「海市」他1~2冊、中上健次 「異族」「軽蔑」、井上靖「本覚坊遺文」、高橋和己「邪宗門」、澁澤龍彦 「高丘親王航海記」、塚本邦雄「幻想紀行」「連弾」「世紀末伝書」、 吉岡実サフラン摘み」、吉増剛造は何を選ぼうか。「宇治拾遺物語」と 「源氏物語・宇治十帖」はもちろんのこと、それに自著3冊等など。更には 前回Facebookに記した「私の批評家たち」に挙げた評論集の他に、牧野和春 の優れたエッセー「櫻の精神史」、久保田展弘の「山岳霊場巡礼」、海野弘 の見事な都市論「ペテルブルグ浮上」なども、置いては行けない。
   海外ものとしては、グレアム・グリーン「事件の核心」、レイ・ ブラッドベー「火星年代記」、ウィリアム・フォークナー「野生の棕櫚」 「響きと怒り」「八月の光」、E・T・A・ホフマンの「黄金の壷」、 それにどうしてもアラン・ロブグリエ「消しゴム」、ミッシェル・ビュ トール「心がわり」「時間割」、ナタリー・サロートプラネタリウム」 などフランスのアンチロマン派のものが多くなってしまう。詩人としては、 ディラン・トーマス、E・E・カミングス辺りが好きなのだ。これに現代 美術の画集、写真集を加える。 》 副島輝人

 私の出版した種村季弘『架空日記抄』1987年、「名湯鑑定家」冒頭と 結び。

《 「どっぱぁ」というPR誌の最近号に副島輝人が畑毛温泉という 名湯のことを書いている。三島駅からバス二十分のところにあるのだ そうだ。 》

《 だからジャズ評論家兼温泉評論家と言いたいが、ジャズと違って、 温泉という古風な趣の相手が相手だけに、温泉評論家は何だかすわりが 悪いような気がする。いっそ「名湯鑑定家」はどうか。 》

 副島(そえじま)輝人より二十歳年下だけれど、関心が重なる。 福永武彦『海市』、井上靖『本覚坊遺文』、澁澤龍彦『高丘親王航海記』、 吉岡実サフラン摘み』は、ふむふむだけれど、牧野和春『櫻の精神史』 牧野出版1978年初版、久保田展弘『山岳霊場巡礼』新潮選書1985年初版 まで一緒とは。すべて新刊で購入。

 ネットの見聞。

《 今回の「クロ現代」事件で最も大事なことは、官邸がNHKを恫喝した とか、籾井が謝罪したとか、国谷さんが泣いた、とか言う事ではなく、 国民が知りたいと思っている至極当然の質問に、官房長官が満足に答え られなかったことであろう。それほど「集団的自衛権」がお粗末な事が 知れ渡ったのである。 》