柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫1990年9刷を再読。 以前読んだときの感興がちらちらと浮かぶ。第一章「風景の発見」、 宇佐美圭司の文が引用されている。
《 山水画は、明治の、近代化を指導したフェノロサによって、命名 され、絵画表現のカテゴリーの中に位置づけられるようになった。 》 20頁
これを受けて柄谷行人は書く。
《 私の考えでは、「風景」が日本で見出されたのは明治二十年代で ある。(略)しかし、風景としての風景はそれ以前には存在しなかった のであり、そう考えるとときにのみ、「風景の発見」はいかに重層的な 意味をはらむかをみることができるのである。 》 20頁
前回同様うーん、とうなずく。
《 ただ、われわれにとって自明とみえる「国文学史」そのものが、 「風景の発見」のなかで形成されたということをいいたいだけだ。 そのことを疑っていたのはたぶん漱石だけだろう。 》 24頁
川底を一気に浚渫するような、胸のすく展開にあらためて感心する。 再読なので理解は深まるが、内容が根源的ゆえに自分の言葉ではまだ 生半可な説明に留まる。今後も読み返すだろう。
《 前章で、私は表現さるべき「内面」あるいは自己がアプリオリに あるのではなく、それは一つの物質的な形式によって可能になったのだ と述べ、そしてそれを「言文一致」という制度の確立においてみようと した。 》 98頁
前回もそうだったが、ここがよく理解できない。もどかしい。簡単な ことなんだけど。
《 「言文一致」の確立過程をみると、それが従来の「言」でも「文」 でもない「文」を形成すること、また確立されるやいなやそのことが 忘却されてしまうことがわかる。ひとびとはたんに「言」を「文」に 移すのだと考え始めるのだ。 》 98-99頁
この忘却、いろいろな事柄にいえる。
《 花袋の『蒲団』がなぜセンセーショナルに受けとられたのだろうか。 それは、この作品のなかではじめて「性」が書かれたからだ。つまり、 それまでの日本文学における性とはまったく異質な性、抑圧によって はじめて存在させられた性が書かれたのである。 》 102頁
よくわかる。
《 古代日本人に「恋」はあったが恋愛はなかった。同じように古代 ギリシャ人もローマ人も「恋愛」を知らなかった。なぜなら「恋愛」 は西ヨーロッパに発生した観念だからである。 》 106-107頁
同感。
《 渡来したキリスト教(新教)に敏感に反応したのはもはや武士では ありえない武士、しかも武士たることにしか自尊心のよりどころを見出 しえない階層である。キリスト教がくいこんだのは、無力感と怨恨に みちた心であった。 》 109頁
再読すると、さほど注目しなかった箇所に目が留まる。
《 彼らは「告白」をはじめた。 》 112頁
つづく展開にも目を見張るが、引用が長くなるのでここまで。
ネットの見聞。
《 児童ポルノにせよ、明大昏睡強姦にせよ、3D女性器にせよ。
被害者を守らず、秩序だけをコントロールってどこのSFディストピア だよ。 》
《 下村博文文部科学相は15日の参院予算委員会で、政府が閣議決定 した集団的自衛権の行使容認について学校現場で不適切な解説があった 場合には、教育委員会を通じて指導する意向を示した。 》
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228607-storytopic-62.html
ネットの拾いもの。
《 とりあえず目につく限りの「虎の尾」を全部踏んで来ました。 》