「芸術随想 おいてけぼり」

 洲之内徹『芸術随想 おいてけぼり』世界文化社2004年2刷を読んだ。

《 それでも金輪際手放すまいと思う作品があり、そういうぜったい売りたくない 作品とぜったい売れそうもない作品とがおいおい手もとに残って、私のアパートの へやの大半を埋めている。 》 11-12頁

《 あるいは逆に、この微塵にひとしいわが生の、しょせんはとるにたらぬその 一瞬一瞬の哀歓を、しみじみかみしめてみたい気持ちにもなる。 》 22頁

《 と同時に、鑑賞画以外に絵というものを考えようとせず、そのせまいワクの中で 傑作だの、名作だのといってさわいでいるような今日の大方の風潮にたいする 無言の抗議でもある。一枚の絵のあり方の中には。それだけではない、もっと深い、 大切なものがあるはずなのだ。 》 27頁

《 見る人に自分の身辺に置いておきたい誘惑を感じさせるということは、 よい作品の必ずそなえている条件ではないだろうか。 》 30頁

《 そして私は、彫刻というものは空間の中に置かれるものではなく、 空間を限定し、空間をとらえ、空間をつくり出すものだということを、 はじめて教わった。 》 32頁

《 事実、藤田が世界中どこへ出してもりっぱに巨匠で通るのは、 彼のこの魔術的な技術のゆえである。事実、日本人の画家で、 国際的に評価の通用するのは藤田だけなのだからしかたない。 》 52頁

《 物に向かいあい、しかも物の外面の美しさからは、彼はむしろ目を そむけようとしていた。構造と量だけを、彼は執ように追い求めた。 》 56頁

《 それはともかくとして、知的な造形思考よりも、情緒的な、 パセティックな画面の表情のほうが日本人にはより愛されるようである。 》70頁

《 いったい日本人の芸術観の中には、天才に悲劇的な運命を期待したがる、 根深い、しかもやや安直なセンチメンタリズムがありはしないだろうか。 》70頁

《 実際、日本人の油絵には、描きすぎて無用の労力感ばかり 画面に露出しているような作品が多い。 》71頁

《 虚栄心で絵を買う人にとっては、高い金を払う以上、高そうに見える絵 でなければならない。 》 72頁

《 つまり、よい作品であるよりも「らしい」作品であることのほうが 大事なのだ。 》 74頁

《 古賀春江という名前だけ見て、女かと思う人も多いらしい。しかしそうではない。 》  100頁

 75頁には林倭衛(はやし・しずえ)について書かれているが、女性だと思っていた。

《 林の酒癖は今日でも画壇の伝説になっている。飲みだすと朝から夜中まで、 一週間でも十日でも、ぶっ通しで飲んだ。 》 78頁

 古賀春江も林倭衛も男性。小説では、乾ルカは女性、乾くるみは男性。

《 ところがこの年鑑の値段表は実にインチキで、実際の相場の数倍から 十数倍になっている。絵かきや画商のほうで金を出せばランクを上げてもらう ことだってできる。そんなわけで何の参考にもならない代物だが、書画屋や 骨董屋が初心(うぶ)のお客に品物を売りつけるのに役立つ。この年鑑を 見せておいて品物を売る。 》 106-107頁

 以上、「新聞版 気まぐれ美術館」愛媛新聞1962-1964年。後年『芸術新潮』に 連載された「気まぐれ美術館」とはえらく違った印象。平明で簡潔。明日へ続く。

 ネットの見聞。

《 現状は、過少消費不況である。非正規雇用の急激な増大が、貧困化をもたらし、 消費需要を停滞させているのである。政府が経営者団体に賃上げを迫るという異常事態は、 この問題の深刻さを政府が認識していることを示している。富者を富ませれば 徐々に貧者も豊かになるというトリクルダウンは起きなかったのである。 》  奥山 忠信
 http://judiciary.asahi.com/fukabori/2014013100001.html

 ネットの拾いもの。

《 「ジ・アルフィーのお三方を見てみろよ、方向性の違いなんて 解散理由にならないんだよ。 》

《 あいつ最近デングになってるらしいぜ 》