昨日の『チャリング・クロス街84番地』でイギリスの詩人ジョン・ダン(1572-1631) を何度か話題にしている。
《 テレビを見るたち人で、ジョン・ダンってどんな人なのかちょっぴりだって 知っている人なんか、一人もいないでしょうけれど、ヘミングウェーのおかげで、 ”人間は島にあらず”ってことはだれでも知っているから、ただそんなことを 混ぜて脚本にしたら、採用してもらえたってわけ。 》 138頁
『対訳 ジョン・ダン詩集』岩波文庫1995年初版を読んだ。徳川家康(1542-1616) と同時代人。期待をはるかに上回る面白さだ。すっ飛んだ諧謔と辛辣な風刺。凄いわ。 「綴り換え」冒頭。
《 フレイヴィアと結婚し、優しくしてやったらどうかね。あの娘は、他の女を美人に する要素を全て持っている。なるほど、目はちっぽけだが、口は大きいではないか。 唇は象牙のような色であるが、歯は黒ダイヤのようだ。眼には光がなくても、体には 火が燃えているお転婆娘。かさかさの髪の毛は抜け落ちるが、肌は毛むくじゃら。 》
《 彼女の場合も、様々な部分があるべき処にはなくても、綴り換えさえすれば、何と 素晴らしい顔になることか。 》
《 この顔を選びたまえ。これ以上に醜くなる心配はない。 》
今これを発表したら、セクシャル・ハラスメント文学として尽十方から非難の声が 雨あられ……。
メモしておきたくなる一節も当然、ごろごろある。「トウィックナムの庭園」から。
《 溜息の大風に吹かれ、涙の洪水に溺れかけて、
春を求めて、僕はここに逃げて来た。 》
《 僕の涙と違った味がするなら、それは偽物だ。
悲しいことに、心は目には現れない。 》
《 涙で女心を判断するのは愚かなこと、まるで、
影法師で女の衣を当てるようなもの。 》
しかし、残念なことに、上記引用のジョン・ダンの詩、『死に臨みての祈り』のなかの 「瞑想第十七」からとった”誰がために鐘は鳴る”は収録されていない。詩の冒頭。
《 なんぴとも一島嶼にてはあらず なんぴともみずからにして全きはなし 》
結び。
《 われもまた人類の一部なれば ゆえ に問うなかれ 誰(た)がために 鐘は 鳴るやと そは汝(な)が ために鳴るなれば 》 訳・大久保康雄
この詩はヘミングウェイの小説『誰(た)がために鐘は鳴る』1940年の巻頭に置かれている。
ネットの見聞。
《 てか、すけべ椅子探偵つったら、都筑道夫の『泡姫シルビアの華麗な推理』とか 東直己の『ソープ探偵くるみ事件簿』とかありましたな。 》 大矢博子
どちらも面白かった。再読するかもしれないのでしまってある。
ネットの拾いもの。
《 嫁 今朝の食事、美味しかった?
俺 あ〜、美味しかったよ。
嫁 そう。ねえ何が一番おいしかった?
俺 生卵
嫁 ……… 》
《 山口淑子さんといえば、その著書『李香蘭 私の半生』の注文を受けた本屋が 聞き間違えて「備考欄 私の反省」として新潮社に注文したという伝説がある。 》
《 年をとってトイレは近くなったがそのぶん耳が遠くなった。 》