「しゃれのめす」

 雨が降る前に、と昼前に食料品、日用品を買い求め、ついでにブックオフ長泉店に 寄るが、何もなし(あったけど、ガマン)。午後は雨読。

 洲之内徹『しゃれのめす』世界文化社2005年初版の前半を読んだ。一日で 読了するにはもったいない気がした。「気まぐれ美術館」シリーズの、 どこへ行くのかわからない、振り回される文章と違って、すーっと 読み進められる素直な文章ばかり。

《 たいていの人がフランスから帰って来ると、名声は得てもそれにつれて あちらで学んできたはずの一番大事なものを失ってしまう。 》 19頁

《 本絵は、私にはつまらない。私にはやっぱり、この人の素描のほうが 面白い。 》 38頁

《 面倒くさいので偉い人の言葉を借りると、それは次のようなことなのである。 ヴァレリーが何かのなかでこう書いている。
  ──熱情は芸術家の制作態度ではない──   》 47頁

《 物が、それを見つめる作者の心といっしょに、明確に画面に現れる。 リアリズムというのはそういうことではないだろうか。 》 67頁

《 彼はあるとき、ドーミエの『トランスノナン街の虐殺』を長谷川さんに 示して、「プロレタリア美術の作品には、こういう美しさと、きびしさが ないからだめだ」と言ったそうである。佐藤哲三がプロレタリア美術に 行かなかったのはよかった、と私は思う。彼はあの、造形的不毛の泥濘に 足をとられずにすんだ。 》 70頁

《 作品も初めてなら、作者の名前も初めてだったが、最初の一瞥で、 私はこの作者に魅了された。 》 84頁

 二十年ほど前、木版画絵師小原古邨の木版画に某画廊で出合った時が そうだった。即購入したが、名前の読み方も分らず、文献も見当たらず、 手を尽くしてやっと「おはら・こそん」だとわかった。2000年当時検索では 18件。今日は30000件。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

《 デッサンをする画家の眼はまず物を見つめるが、物と画面とを同時に 見ることはできない。眼が物から画面に移るそこのところで、画家の記憶や、 体験や、大げさに言えば世界観までが加わり、入ってくる。 》 85頁

《 東京で、ゆっくり時間をかけて眺めてみたいというだけでなく、 人にも見せたい。ここには絵を描くとはどういうことかを、あらためて 思い出させ、考えさせる何かがある。 》87頁

 私の考えるそういう絵、作品を人に見せたくてK美術館を開いた。

《 だいじなのは、この人の残して行った作品である。 》88頁

 後世へ伝えるために、後世の判断を待つために、作品を保管している。

《 しかし逆に、紙の生地と透明な色彩とを武器にした水彩のメチエの 描写力には、油絵の追随を許さないものがある。 》 107頁

 安藤信哉の水彩画は素晴らしい。が、どこの公立美術館も未収蔵のよう。 もったいない。
 http://web.thn.jp/kbi/ando.htm

 ネットのうなずき。

《 身銭を切れば自分のものにすることができる。当たり前の話ですが、 恐ろしい法則です。それではいくらあっても足りないではないですか。 》  書肆 逆光

 欲しいものはいくつもある。昨日の白砂勝敏さんの新作、泡坂妻夫ハイデガー、ハリー・クラークの本などなど。

 ネットの見聞。

《 サンリオSF文庫は全部(orほぼ全部)持ってるという人たちも、 そのすべてを読んでいるわけではない、と聞いて安心したり。 》 藤原編集室

 読んだのは、アレッホ・カルペンティエールバロック協奏曲』1979年、 デイヴィッド・リンゼイアルクトゥールスへの旅』1980年くらいか。前者の 解説、サリオSF文庫刊行予定には『方法再説』『春の祭典』があるが、 翻訳は出ていないようだ。本棚にはカルペンティエールの『この世の王国』 創土社1974年、『時との戦い』国書刊行会1977年、『失われた足跡』集英社 1978年、『ハープと影』新潮社1984年、『光の世紀』書肆風の薔薇1990年。 昭和五十年代はラテン・アメリカ文学がマイ・ブームだった。マジック・ リアリズムと称された小説を日本文学で渇望したが、古川日出男の長編 『沈黙』でやっと渇が癒えた。角川文庫の『沈黙/アビシニアン』2003年だ。 文庫の帯にはこんなコピー。

《 炸裂する言葉の弾丸  博覧強記の物語世界 》

 『沈黙』は凄かった。『アビシニアン』には心が震えた。

《 有力ヘイト団体の威嚇や暴力を犯罪として取り締まる立場にある 「国家公安委員会」トップに、その有力ヘイト団体と友好的関係を持つ議員を 据えるというのは、首相が有力ヘイト団体に対して「あなた方の恫喝的行動を 本気で摘発する意図はまったくありません」とメッセージを送っているような ものだろう。 》 山崎雅弘

《 小松左京先生の短編「終りなき負債」、SF耽読時代にミステリの下地も 作ってもらった作品だが、今恐ろしく感じられるのは背景設定。国民が国家の株を 持たされ、それを失うと全ての人権を失う。だから政府は簡単な景気操作で、 いつでも奴隷のような安価な労働力をつくりだすことができるというもの。 》  芦辺拓

《 「日本国内でしか通用しない論理」と言われると、萎縮したり反省したり するのが作法だと思っとる日本人は多いようだが、アメリカ人は平気で アメリカ国内でしか通用しないを振りかざすし、イギリス人もフランス人も 中国人も韓国人も、大体はそうだと思うんだが。 》 Yuzuru Nakagawa

ネットの拾いもの。

《 大隈重信といえば、大隈重信が大嫌いだった山県有朋が丘に別荘を建てて (現・椿山荘)、のどかな田園風景を見下ろして楽しんでいたのに、ある時その 田園風景の中に大隈重信が大学をおっ建てて(現・早稲田大学)、「折角の景観が 台無しだ。あいつ許さない」と日記で愚痴ってたというエピソードが好き。 》