「大いなる幻影」

 一昨日購入した『大いなる幻影 戸川昌子/華やかな死体 佐賀潜』 講談社文庫1998年初版だが、『大いなる幻影』は講談社文庫1978年初版で既読。 『華やかな死体』は春陽文庫1972年17刷と講談社文庫1978年初版を持っているが、 未読。どれも活字が小さくて感興をそがれる。それで活字の大きめのこの文庫を 購入。この本で「大いなる幻影」を再読。いやあ面白い。冒頭の自動車事故から 一気に没頭。中高年女性だけのアパートに潜む疑心暗鬼。様々な思いが交錯する。 それが陰鬱に陥らず、謎が謎を呼び最後に鮮やかに収斂する。そしてその後に 明かされる驚愕の真実。「大いなる幻影」の意味がまざまざと浮かぶ。嘘に嘘を 重ねるという言い回しはあるが、虚構に虚構を重ねるミステリの醍醐味がある。

 関口苑生の解説はこの一文で始まる。

《 昭和三十七年(一九六二年)度、第八回江戸川乱歩賞は、史上まれに見る、 おそらくは空前にして絶後だろう大激戦の年であった。
  この年、最終候補に挙げられたのは六篇。ところがそのうち四篇までを 選考委員の誰かが第一席に推していたのである。 》

《 戸川昌子大いなる幻影』を江戸川乱歩木々高太郎が、佐賀潜 『華やかな死体』を長沼弘毅が、塔晶夫『虚無への供物』を荒正人が、 天藤真『陽気な容疑者たち』を大下宇陀児の各選考委員がそれぞれ一位に 推して、完全に票が割れてしまったのである。 》

 第八回江戸川乱歩賞選評も掲載されているので興味深い。それについて、 渡辺剣次『ミステリイカクテル 推理小説トリックのすべて』講談社文庫 1985年初版ではこう書かれている。

《 だれかがそれぞれ第一席に推していることがわかったので、点数をつけて その合計できめることになった。 》 40頁

《 ところが、その際、入選した二篇と、次点の塔の作品のあいだの大きな へだたりは、木々高太郎が、塔の作品に対して、あまり高い評価をしなかった 結果であることがわかった。つまり木々が、ある程度の点数をつければ、 形勢は逆転して「虚無への供物」は、第一席になる可能性があったのだ。 》  40頁

《 彼がもし乱歩賞をとっていたら、むらがるジャ−ナリズムの中で、 どういう姿勢をとったであろうか。塔も幸福な作家にちがいない。 》  42頁

 その塔晶夫中井英夫の最後の助手を務めた本多正一氏の写真展がある。 一月後だが。

  本多正一写真と仕事展「私的文人交流録ーHere Today(1989-2014)」
  [内容]中井英夫埴谷雄高渡辺啓助、宇山秀雄、西井一夫、黒岩比佐子ら、 ゆかりのあった人々をポートレイトと資料で紹介。再評価に尽力した装幀画家 村上芳正の原画、中井英夫中城ふみ子往復書簡など貴重な資料も多数展示。
  [日時]10月27日(月)〜11月3日(月・祝) 11:00〜18:00(最終日16:30終了)
  [会場]東京古書会館 2F情報コーナー
  [入場料]無料

 某ブログに『中井英夫 ──虚実の間(あわい)に生きた作家』河出書房新社 2007年初版のことが記されていた。本棚から取り出してみると、出版社からの 「謹呈」紙片。目次を見ると、私の名前。すっかり忘れていた。

 昼前、ブックオフ長泉店へ小さい段ボール一箱分を自転車に積んで行く。 これ以上は重くて危険。480円也。

 午後、源兵衛川沿いにある病院の職員、子どもたちと川の清掃。
 カネにもならないことをよくやるねえ、と言われるが、川は、昨日書いた 社会的共通資本。

 ネットの見聞。

《 幼稚園で迎えに遅刻した親に罰金を科したら「あ、お金を払えば遅刻していいんだ」 と意識が変わり、遅刻が二倍に増えた実験があった。元に戻しても、遅刻は増えたまま だったとか。善意や内発的動機による社会的規範が一度市場価値に換算されると、 もう元に戻らないのは、よく見る光景になった。 》 浅井ラボ

《 【文部科学省のスーパーな政策ネーミング】
  スーパーサイエンスハイスクール
  スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール
  スーパー・プロフェッショナル・ハイスクール
  スーパー食育スクール
  スーパーエコスクール
  スーパーグローバル大学 ← New!   》 Fumiaki Nishihara
 http://mainichi.jp/select/news/20140926k0000e040202000c.html

 ネットの拾いもの。

《 「ジャスコで万引き、ダイエーで食い逃げ、ニチイで捕まり、ブタ箱へ♪」 という出どころのよくわからない、少年犯罪を未然に防ぐ児童唱歌があったが、 まさか全部同じ会社になって、名称も「イオン」になるとは小学生の時には 予想だにしなかった。 》