「文学論」

 降りしきる雨。暗い日曜日。ダミアを聴くわけでなし。本棚を眺める。吉行淳之介 『四角三角矩形』創樹社1974年初版を手にとる。装幀・レイアウト=粟津潔。見返しは マリリン・モンローがベッドでにっこりくつろぐ姿。以前も書いたけど、そこに挟まれた 紙マッチは、『PUB&SNACK ルージュ』横浜市西神奈川。真っ赤な唇=モンローだ。 マッチを挟んで古本屋へ売った人、捨てなかった古本屋、ステキだ。
 その隣には吉行淳之介子供の領分』番町書房1975年初版。装幀栃折久美子。装幀 の図版はパウル・クレー『忘れっぽい天使』1939年。魅力的な線描画。単行本には 珍しく種村季弘の解説がついている。十ページもある。

《 娼婦物は、吉行の場合、明らかに体験の記述ではなく、老成のポーズの顕示が 目的ではじめられたのである。 》

 気づきませんでした。

《 人間の最大の不幸は、夏休みが人生の終りにでも中途にでもなく、最初にきて しまうという宿命であろう。 》

 種村季弘の面目躍如だ。『壺中天奇聞―種村季弘作家論』青土社1976年に収録。

 ポール・ヴァレリー『文学論』(堀口大學・訳)角川文庫1989年8刷を読んだ。断片 あるいは箴言、章句のような短文の連なり。けれども一語一文も揺るぎない硬質の、 同時にしなやかに流れるような名句名文。冒頭がこれ。

《 書物は人間と同じ敵を持つ。いわく、火、湿気、虫、時間。そして自らの内容。 》

 全編引用したくなる。

《 ポエジーが、その順次の洗練によって、それがポエジーの主要な目的だと示すに 至った、かの言葉の彩(あや)および連結語を、昔の修辞学は単なる文章上の装飾と 技巧にすぎないと見ていたが、やがて未来にあっては、分析の進歩のおかげで、 それらが、深い根城を持つ特質であり、また、実在的感受性とでも呼ばるべきものだ ということが明らかになるはずだ。 》 17頁

 実在的感受性! この考察を絵画に援用したくなる。

《 ある一つの作品のそれぞれの部分は一筋以上の糸でお互いに結びつけられておる べきものだ。 》 24頁

 絵画の構造も同様。

《 作品がきわめて短い場合、きわめて小さな細部の効果に作品全体と同じほどの 効果がある。 》 24頁

 上記、パウル・クレー『忘れっぽい天使』。

《 「そこから夜が輝き出る気味わるい黒い太陽」
  とうてい考えることもできないようなことではあるが、それにしても、 この陰性の美しさ! 》 28頁

 十月一日の拙ブログの一文。

《 右上に青い太陽が描かれている。青い太陽?  直感で太陽と見なした。 》

《 韻文としてすでに自由詩が行われていた文学の世界に、十二音綴の定型詩 (アレクサンドラン)を発明する男は、狂人扱いにされ革新家の急先鋒とみなされる はずだ。 》 33頁

 加藤郁乎(いくや)『球体感覚』1959年収録の俳句、

《  啄木鳥告げる十二音綴(アレクサンドラン)の無電…  》

 四十年余???だった。『文学論』角川文庫は1955年初版。やっと氷解。 ここで松山俊太郎『球体感覚御開帳』冥草舎1971年を初めて参照。ふむふむ。

 堀口大學の解説が読ませる。

《 生前ヴァレリーほど毀誉褒貶のインクをおびただしく流させた文学書もかつて なかった。 》

《 彼によれば詩はすべて、意思され、準備され、計算されて製造されるのである。 》

 製造! 北一明の焼きものだ。知人女性から戻ってきた小さな茶入れを手に思う。
 http://blog.goo.ne.jp/tsuruchan-chi/e/774477a5d9e98ee41e8693c55fa94ba1

 ネットの見聞。

《 失楽園と復楽園 》