「まぼろしのインテリア」

 松山巖まぼろしのインテリア』作品社1985年初版を読んだ。柔軟で複合的な 視点がこの本を読み応えのあるものにしている。教えられることの多い、いい本だ。

《 明治の文明開化から現在に至るまで百年の暮しを六つの時代に分けて辿ってきた。  》 「あとがき」

《 この慶応二年の大打ちこわしは歴史家の説くところに従えば、鎖国を解いて 以来の貨幣制度の混乱と凶作、政治不安と商品流通機構の変化による物価上昇に 原因がある。 》 214頁

《 江戸はこうして崩れていった。芝居小屋、寄席は閉じられ、得意先を失った 商人は江戸を見離した。溢れていたのは裏長屋の行き場のない者たちばかりだった。 寒風が吹き抜けて、もう一度、汗まみれの夏がやってきて江戸は東京と名を変えた。 慶応四年(一八六八)七月十七日。ついで同年九月八日から年号は明治に変わった。 東京は死臭の中から生れた。屍体は薩長でも幕軍でもなく、裏長屋の虫けらたちの ものだ。 》 216頁

《 かって百四十万の人口を誇った大都市は六十万に減り、路上には捨てられた 幼児の死体が五百余り見つけられた。(中略)ともあれ、江戸は行くあてもない あぶれ者が腹をすかして残ったところで終り、東京と名を変えた。 》 216-217頁

 そんなひどい状況だったとは。

《 無政府主義者が数年後に興国少年団を組織する。この振幅は体制に対する強い 怨念と体制に寄り添って生きざるを得ぬ二重性そのものであり、それは彼が起した 居住者運動にもそのまま反映されている。 》 153頁

 複眼の視点が、この本を特徴づけている。もう一つの歴史。

《 2DKの成立過程を振り返ると、この住居がいかに社会と連鎖する回路を 一つ一つ失って行ったかが分る。 》 180頁

《 応接室が「公」社会へと繋がる表の場所であれば、裏口は近隣の小さな社会へ 繋がる裏の場所であった。2DKはこの二つの社会へ連鎖する部分をダイニング キッチンの中へと封じ込めたのである。 》 183頁

 慧眼だ。

《 藤井(厚二)の問題意識は『日本の住宅』の中では終始一貫して日本の気候に 調和する現代住宅の創造ということである。今から考えればきわめて当り前とも いえるこの問題提起は、彼が述べるように一九二〇年代においては実は稀有な ことであった。これは日本の建築界の特異性、藤井に言わせれば、「我が国現代の 物質文明は概ね範を欧米の先進諸国に採り、盲目的にそれに従ふことのみに努めて、 模倣の及ばないのを虞るゝの感があります」という日本の後進性から生じたことである。  》 107頁

 「建築界」を「美術界」に替えても通用する気がする。日本の一般家屋にはまるで 合わない額縁入りの油絵。さんしんギャラリー善で催されている岡部稔展のプリント した布地が幕のように垂れている作品は、現代に進化した掛け軸ではないかと思う。 一昨日話題の白砂勝敏氏の額縁を使った作品は、欧米の伝統を逆手に取った作品だ 。欧米風の重厚長大が立派=偉いと思い込んでいる日本の洋画界の伝統を軽々と 超えてゆく新しい作品。

《 歴史は皮肉をもたらす。新聞が報じたように外観はモダン過ぎ、内実は牧賢一が 指摘した通りアナクロニズムそのものだったのである。 》 155頁

 大正から昭和にかけての同潤会による鉄筋コンクリート造のアパートのこと。 最近の美術館かと思った。

《 「ゴミ箱をなくす運動」でにおいのするゴミ溜めはプラスチックのゴミ容器に 替えられ、(中略)そして十月十日、明るい秋晴れの日に東京オリンピックが 開催された。 》 227頁

 路地裏に残骸をさらしているコンクリートのゴミ箱。半世紀前に捨てられたのか。 これを読まなくては知らなかった歴史の一つ。いい本だ。

 ネットの見聞。

《町田市立国際版画美術館「谷中安規展」。図録も手元に置いておきたい充実した出来です。  》

 手元の渋谷区立松涛美術館の2003年の図録のほうが充実しているようだ。

 朝、雨がぽつぽつ。近所のスーパーへ生鮮食料品を買い足しに行く。千円でおつり。

 ネットの拾いもの。

《 台風上陸に立ち向かう無謀な勇気をもらった気になります。
  「けんかえれじじい」書:荒木経惟(のぶよし) 》