ネットに掲載されていた樋口譲『国民須知』(公益堂、一九〇一年七月一五日) によると、人口総計43,228,863、東京の人口は1,425,366。 昨日記した江戸の最盛期に戻っている。
http://sumus2013.exblog.jp/23113641/
『世界の名詩集5 ボードレール散文詩集』斎藤磯雄・訳、三笠書房1967年初版 を読んだ。
《 このやうな神経性の悪戯は危険を伴はぬとは云へぬし、時にまた高価な 代償を支払ふことにもならう。さりながら一瞬の裡に無窮の快楽を見出した 者にとつて永劫の責苦もまた何するものぞ。 》 「けしからぬ硝子屋」
二〇世紀後半のハプニング・アーチストを連想。
《 あらゆる人々に不満を抱き、おのれ自身にも不満を抱いて、私は今、 夜半の寂莫と孤独のなかに、少しくおのれを取戻し、矜持を高めたいと切に希ふ。 》 「午前一時に」
《 私が今しがた見かけたのはかつて一世の輝かしい慰め手であつたが、その時代は すでに去つてなほかつ生き残つた老いたる文人の影像(ゑすがた)なのだ。友もなく、 家族もなく、子供もなく、貧苦と大衆の忘恩ゆゑに、見るかげもなく落魄し、 忘れ易い世の人がもはやその掛小屋には入ろうともせぬ、老いたる詩人の影像なのだ、 と。 》 「老いたる老藝人」
上記二編、萩原朔太郎を連想。
《 尊大な悪魔ふたりと、これの劣らず異様な魔女がひとり、昨夜、神秘的な階段を のぼつて来たが、この階段を通つて「地獄」は眠つてゐる人間の弱点を襲ひ、また ひそかに人間と交際するのである。 》 「誘惑 或は恋の神と名誉の神」
上記で始まるこの散文詩、機知と可笑しみと皮肉が渾然一体となった傑作だ。
《 黄昏よ、汝の甘(うま)しく、夜の勝ち誇る圧迫のもとに喘ぐ昼の断末魔のやうに、 なほ地平線に揺曳する薔薇色の微光。沈みゆく陽の最終(いやはて)の栄光のうへに 点々として暗赤色の染(しみ)をつくる架燭の灯(あかり)。東(ひんがし)の邦 (くに)の奥深きあたりから見えざる手のたぐり寄せる重々しい帳(とばり)。 これらすべては、人生の厳かなる瞬間に於て、人間の心の中に鬩(せめ)ぎ合ふ あらゆる複雑な感情を模倣してゐるのだ。 》 「黄昏」
坂東壮一氏の銅版画「夜の帳」1983年へのオマージュのようだ。
http://www.yart-gallery.co.jp/soichibando2014.html
斎藤磯雄のこの翻訳はなんといいのだろう。原詩に忠実か否かは知らぬが、 詩句は心地よく律動を刻む。素晴らしい。函入りの小体な堅牢本は愛着を 呼び覚ます。16.5×12cm弱、丸背。若いとき古本屋で出合って一目惚れ。 全十二巻のうち七巻と別巻二巻をポツポツ探して買った。同じ大きさで布装の 『日本の旅 名詩集』全五巻は古本屋で買い揃えた。
ネットの拾いもの。
《 偉業も過ぎると異形扱い。 》
《 おいらのPCは、とうとう「やくにん」で変換すると「厄人」と出て来るように なってしまった。 》